きもちがうごいてる

短歌、10首。

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きもちがうごいてる
         


        ━━ツノダさん(飼い猫のなまえは、リンドバーグ夫人)なら、
            草月流会場にいます━━

     

     

     それを私にいきなりくれたひとがいる うすいそばかす 理由もなしに




     青い青いおおきなボールのある部屋に入るとわたしはとても小さい     



     

 

     拡声器 アナログテレビ さかだちのアタマたちどしゃぶりを聴いてる

 

 

20123



     神様が真っ赤になって笑っているそっぽ向いてる きもちがうごいてる




     かなぶんを1匹どこかに投げますと闇夜はそのままキープされます
     



     
     このままでこの世をよしとは思うまじクインシー・ジョーンズ本日更新



20123

     




     アイディアを即却下され十五夜に教室みたいな顔をしている




     むくむくの盛り髪くるりの巻き髪をするものを思想犯とよぼうかな




     訛らない訛りのようにひそやかにとけだしてゆくよろこびの連鎖



20123




   ストローをシューッとならしてのむひとはもうすぐ異質なものになります


                                   
                                      

                                   (歌誌『かばん』掲載)


  20123  20123  201232012320123





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『ロッキー・ホラー・ショー』を受信

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『ロッキー・ホラー・ショー』
作  リチャード・オブライエン
演出 いのうえひでのり
@神奈川芸術劇場(2011.12.13)







2011年は、はじめとおわりに、
“ロック系ミュージカルのクラシック”にふれた年になったのは、おもしろかったな。
1月にみた舞台版『時計じかけのオレンジ』の、
原作映画が、1971年公開。
そして、12月のミュージカル『ロッキー・ホラー・ショー』が、
1975年ロンドン初演。
(映画『ロッキー・ホラー・ピクチャー・ショー』も1975年公開 )
2つとも知ってはいたけれど、
今までみる機会がなかったもの。(“同世代” じゃないです・・・)
そんなこんなで、他の観劇もふくめて、
あー、なるほど・・・となる1年でもありました。



初日から、三日目の公演。
客席にはかなり若いひともいましたが、やはり全体の平均年齢はすごく高い。
ふわふわエプロンにミニスカートの
ポップコーンガールたちが通路を歩いて、ポップコーンを販売。



そのポップコーンガールの一人が、
まずは幕開きに、赤い緞帳の前で、あの、
“♪science fiction~、double feature~ ♪”
っていう歌をうたうのでした。
もちろん、世界各国の演出家が、いろんなふうにオープニングを
つくっているみたい。
今回は、キュートなコスプレ風。うたの途中で “カラス声” になるのが
ポイントかな。



「俺たちの聖典をみせてやる」(キャッチコピー)
ということで、“学園祭ノリ” でロックに騒ぎまくるらしいと聞いていた。
でも、あの別珍っぽい重たい緞帳の感じは、学園祭っていうより、
“ひなびた学芸会”の匂いがしみついた感じ。そこが、チャーミング。
(ああゆう緞帳って、寡黙でありながら、
批評精神とか、無常感すらかもしだすもの。緞帳、ラヴ)



嵐の夜、人造人間をつくるマッドサイエンティストの
フランク・ N・フルター(古田新太)が、
アメリカのお手本的グッドカップル( 中村倫也 ・ 笹本玲奈 )を
堕める・・・アダムとイヴや、ヘンゼルとグレーテルのお話も下敷きになっています。
(いのうえ演出は、昭和特撮ヒーローもの風味もあり)



この舞台を、“芸術劇場” と名のついた空間のシートに座ってみている自分が
ふしぎ。
 「はい、ここでみんな盛り上がりましょう」っていうところが
ハッキリしてる。
まあ、どんなミュージカルでも、
好きなシーンの好きなナンバーをたのしみにしてみるのが醍醐味ですものね。
ただ、青春期にこの作品に出会ったひとも、今は“大人モード”。
ロックコンサートみたいにスタンディングにはなかなかなりません。お静かでした。


Rocky2002



ストーリーは大ざっぱ、グラムっぽい儀式性がメイン。
こういうドラマには、もっと小さなスペースで出会わなければ
意味がないのかもと思いました!
(だって、たとえば、グラムロックの『ヘドウィグ~』なんかにある、
キュンとくるモノローグがないんですもの・・・)
というか、困ったことに、
実はこの舞台はそれほどおバカにも、クレイジーにもみえません。
ハイレグ&網タイツの古田フルターをはじめ、さいごは老若男女車椅子
入り乱れての、
乱痴気踊りとなるようすも、よくお稽古してある感じで、おっとりしているみたい。



わたしたちは、十人十色・・・いろいろなひとがいて、地球は回ってるーー
そんなような問題意識を、いまさら“伝える×伝えられる”ことが
ポイントじゃないと思います。
この舞台の初演当時タブーに近かった言葉や特殊な文化は、カタチを変えて、
今の日常のなかにふつうに、微粒子カプセルになって
溶けこんでいる。そう思うと・・・やっぱり、これは、「ホラー・ショー」なのだな? 
(あー、ホラーといえば、わたしは一応 『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』派。
子供のころからみていた“マッドデンティスト”のリズムがなつかしい )



この舞台には、これまで日本でフルター役に取り組んできた2人、
藤木孝とROLLYも別の役で出ています。
終演後には、3フルターズが舞台に並んで歴史の香りのトーク。
世代や背景のちがう3人が、
けっして談笑したり、誉めあったりすることなく、それぞれの
“マイ・ロッキー・ホラー・ショー”をパラレルに語っていた。



一緒にみたひとの一言・・・「フルターの踊りにバネがない!」
うーん、でも、“古田フルター” ならバネはなくてもいいんじゃないかと。
全体的に、あまりつよいビートは好きじゃないというひと向きの舞台に
なっていたでしょうか。
リフラフ(岡本健一)の叫びが、後方客席へも送信されました。


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あけましておめでとうございます!

             

            あけましておめでとうございます!




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                     2012年  元旦


              
 

 


 いいことはぷちぷちつづく。かずのこのつぶの数だけ瞬くまつげ

 

 

 たべものは愛しあってぶつかりあうおせちをみれば今わかること

 

 

                       (モナミのお正月の短歌)

                      




                今年もよろしくネ。     モナミ

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うさぎ

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うさぎ、またね。

                              モナミ

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『その妹』 レトロでモードな❤

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『その妹』

作 武者小路実篤
演出 河原雅彦
@シアター・トラム(12/16)



おお、“白樺派”!
大正時代って、よくも、わるくも、
ロマンやノスタルジーの時代として、
振りかえられることが多い。
武者小路実篤は、“生粋のお坊ちゃま作家”
なんて、皮肉っぽくいわれる。
けれど、いつの時代も、ひとは、
ほんとうにクリエイティヴになっている(なろうとする)とき、
いつもまっすぐにある武者小路魂に、ある程度共感せざるを
えないのじゃないかな。   
(武者小路って、やっぱり、たしかに、
資本主義に収まりきらないドラマと “生命そのもの” を
つないだ作家の一人っていうことでしょうか)


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客席をみわたすと、ひとびとは、 “高齢組 ”と“ヤング組”に
大きく分かれていたみたい。 
“いかにも“白樺研究、ン十年” 、“心は、今も新しき村に!” みたいな
白髪のひと、チラホラみかけました。
後ろの席の若いカップルは、どうやら妹役の蒼井優ファン。



戯曲『その妹』は、考えれば考えるほど、さみしいお話に思えるのです。
開演前、舞台に〈妹〉の大きな肖像画が掲げられている。
くぐもった色に、 深い想いを秘めた女性像がうかぶ。 
これは、社会の中で生きてゆく兄妹の姿を、
静かに、せつなくみつめたドラマ。
盲目の兄と、生きるためにのぞまない結婚をする妹ーー。
とてもかわいそうというか、
ほんとうに哀しいというか、
そこはかとなく怖ろしいというか・・・。小説『馬鹿一』なんかにみられる、
向日性をなんとなく思っていましたけど、作者の屹然とした人生観を舞台に
垣間見た気もします。 



ただ、人間のネガティヴ要素を、青空に投げて、
溶かすような “熱”が、この作品にはたしかにあるみたい。
つまり、観劇中わたしは、しんみりどころか、真正面からキュンキュンの連続。
それでいて、レトロムードがドリーミー。舞台の銀河を、あたまが浮遊。
(というか、“大正生命主義”のことばには、ダイナミックな空間感覚があるでしょ。
そのままで、現代のSF作品ともいえるんじゃないか、と・・・・・・●□!▲◎×?)



さあ、このキャスティングをみてください。
日露戦争で負傷、盲目となった画家・野村広次・・・市川亀治郎
広次の妹・静子・・・蒼井優
広次の友人・西島・・・段田安則
西島の妻・芳子・・・秋山奈津子
高峰・・・鈴木浩介
高峰の妻・綾子・・・内田亜希子
女中・・・水野あや
小間使・・・西尾まり

一見して、今年後半からのわたしの観劇をおさらいするかのような面々も。
(『キネマの天地』とか、『泣き虫なまいき石川啄木』とか・・・)



まず、広次は、視力を失う前は天才画家と評された。絶望から立ちあがり、
これからは小説家として生きてゆこうと決意。妹にたすけられながら、気を張って、
元気にふるまってもいる。妹を、不幸な縁談からなんとか守り抜こうとするも、
経済力不足。社会の中でのじぶんの力のなさに、
うちひしがれてしまう・・・そんな役。
映画ではかつて佐田啓二なんかが演じたそうです。この舞台の亀治郎広次は、
歌舞伎色。というか、ちょっと江戸の噺家のようなしゃべり方で、
“アート系”の繊細さはあまりみえない。 
広次の生来の素直さや、一本気なところはカラッと伝わってきました。
この舞台のレトロポイントは、衣装・セットだけじゃありません。
原作どおりの “セリフ・話し方” が、趣深いです。



静子役の蒼井優演技は、〈妹〉がもつ優しさと強さをしっかり
表現していたと思います。
結局、彼女は、周囲の状況をみて、
そのいや~な縁談をみずからの意思で承諾。(するということになっている)
自分と兄の生活を切り開いてゆくために。
〈娘〉としては弱くても、〈妹〉としては強い。兄の友人などと
まったく対等に(むしろ上から )
言葉を交わし、わたり合う様子がおもしろい。
“大正の、旧華族調の話し方”みたいなの
(「ごめんあさーせ」とか、「さーょなら」とか) も特訓したのかしら? スゴイ。
そう、あと、背の高い着物姿、かぼちゃ円盤型の髷、なにげない所作は、
けっして、“噺家の兄をもつ(?)、おゆうちゃん” に
なってません・・・演出家の目を感じました。



さて、小説家の西島は、
広次を文壇に紹介したりしているうちに、静子に恋してしまうのです。
例の縁談を阻止するべく、収入のとぼしい兄妹の自立をたすけ、
住まいと生活費を与えます。
そのために、実は自分の蔵書をほとんど売りつくすところまで、
静子に気持ちが
傾いているのでした。妻をもつ彼は、悩みます。
〈悩み〉は、大正時代のスパイス?


ふふ、段田・秋山夫婦は、絵になっていてかっこよかった。
夫(段田)は、『泣き虫なまいき石川啄木』のときの、
“ファンキーお坊さん”の爽やかさとは
またちがう、しんねりむっつりとしたムード。これも、ぴったり。 文士のことばも、
ききやすかった。妻(秋山)も、適役。 
夫の気持ちを知り情念をみせるところ、きれいでした。



ドラマの味わいをふくらませている、高峰夫妻の存在。
美術家の高峰は好青年のようだけど、自分勝手で頼りにならない、
彼自身に悪気はないとはいえ、
まわりのひとのきもちに無頓着・・・そんな感じが
よくでていました。(段田とともに 『泣き虫なまいき~』に出演していた鈴木。
このときは、鈴木が友人のためにお金を出す学者役だったけど、今回は、
“良心の演技”を段田に託したかたち?になって、
イライラする存在感がおもしろい)
広次は、チャーミングな高峰の妻にいまもむかしも、❤。



それから、西島家のお手伝いさん(水野)は、ちょっとの登場。批評的な役。
小間使(西尾)は、広次のめんどうをみる。(『泣き虫なまいき~』のときは、
“妹役” でしたね)




ということで、今思うと、これは、ごくあたりまえの “日本人の日常会話” を
美しく、わかりやすくきかせる舞台のひとつだったのかしら・・・。
その意味で、“現代口語演劇・・・静かな演劇”といわれるものの元のパワーに
ふれた感じもして、たのしかったのです。
といいつつ、わたし・・・
広次・・・ジョニー・デップ、静子・・・キーラ・ナイトレイ
とかのスクリーンもみてみたい・・・あ、ちがう?(笑)



演出家は、このドラマを、
「(妹の)身売りをめぐるお涙頂戴話」にしてはいけないと指導したそうです。
パンフレットでは、あくまでも静子は結婚を自分で選択したと強調されています。
静子は、現実をみて行動する女性・・・そんなラインです。    
でも・・・この舞台をみて、ほんとうはそういう“説明” は
当たらないような気もしました。      
この作品には、当時の男性中心の社会全体のしくみを
定点観測的にみつめるようなフレームがあります。
そこが、こわいところでもあり、また魅力的なところでもあるのではないかな。
(この芝居とは別に、なんだか今、
“マザコン”と “ヒューマニズム”ということばがごちゃごちゃに
なっている押し入れから、
“女子力 ” ということばをとりあえずひっぱり出してくるのは、つまらない)



『その妹』は、現代にも生きる、とてもボールドな作品とあたらめて感じました。
“人間のつよさ”は、
自分でもはかりしれないほど深い洞察に支えられている。
では、“作品だけが伝えられること” って、
どんなものだろう・・・来年の舞台空間にたずねたい。moon1



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『天守物語』の紅

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『天守物語』
作   泉鏡花
演出  白井晃
@新国立劇場中劇場(11/9)


欧米の、ちょっとダークな、
大人のファンタジー作品がお似合いの、
白井晃氏の演出が、この泉鏡花世界とも、
いかにも “ふつう” にマッチしていました。



翻訳物でも、日本の幻想譚でも、そこから “あやしさ”を
ひきだしてみせる白井氏。
“あやしさ”って、“空間のズレ”のこと・・・真実の居場所は決まっていない。
舞台から客席に謎が投げかけられます。



さて、これは、
妖怪と人間の心が通うお話。
姫路、白鷺城の天守閣に棲む魔界一族の、富姫・・・篠井英介
は、先ず冒頭で、現代の男性の姿をして
舞台に現われる(気を失って倒れている)という演出。
(一緒にみた友人は、
この、今とむかしをつなぐ異化効果 に 「?」となったと言っていますが・・・)
幻想的な舞台展開がつづき、
登場人物は、
“きものにみえて、きものじゃない” (byポストトーク)衣をまとって、
わたしたちの目をさらいます。



闇に舞う、妖怪の女童たちの、振袖の紅。
深く、鮮やか。なんとも、キャッチー。これは、照明との関係も考えてつくられた、
スタッフ渾身の紅ということでした。
今思うと、わたし的には、この舞台のカラーは、
青と黄色。(実際に舞台上にはあまりみられなかったはずだけど)
時空をこえてつながる心のカラー~。♪



富姫(天守夫人)と、
播磨藩の鷹匠の超ピュア青年、姫川図書之介・・・平岡祐太、
この二人は、あっというまに恋におちます。
(ここでも、同行者は、なぜ二人が、急にあれほど
つよくひかれあうことになるのか、この舞台からはわかりづらい・・って
“近代的な” つぶやきをしてました)


Img_2586


二人の出会いのシーンをみていて、わたしが、
あっ、今、図書之介が完全にheartになった、と思った瞬間があったのです。けれど、
あとで、どれどれ・・・?と原作をよみなおしても(調べモード)、
そのきっかけとなった(と、わたしが思った)
富姫の “セリフ” が、どうもみつからないみたい。typhoon
かわりに、図書之介の、思いやり深く、なおかつ潔い発言に対して、
夫人が、「すずしい言葉だね」と誉めて返しているのが、やっぱり、
おもしろいなと思います。
そのあとには、「ああ、爽やかなお心、そして、貴方はお勇ましい。・・・」
というふうに、夫人的にも図書之介に、どんどんheartに。
まー、この高いところに棲む妖怪たち(空間を把握する目をもつ)にとって、
「すずしい」は、とてもポイントの高いこと。
富姫の妹、亀姫も、「お涼しい、お姉様」って言っている。



二度とここへ来てはいけない、という禁を破って、
図書之介が富姫のもとに戻る道に、煙のようにひらめくくろい布。
それから、さいごに救われる二人の愛を、優しく照らす月の光。
観客になじみのある和の様式が、ちょっと今っぽくみえます。
シンプルでも、 場面を十分輝かせる舞台効果っていいなと思うのです。



それで、富姫は、今の篠井ワールドに、違和感がない役柄のようにもみえました。
あたらしいことに挑戦するというよりは、
とってもスムーズに舞台全体に溶け込んでいた感じの、篠井氏。
ポストトークは、おちゃめ。(?)
1歳年上の白井氏を、むかし、「白井のお兄ちゃん」と呼んでいたとか。
そういえば、白井氏の登場するポストトークって、
たいてい、出演者が白井氏をなんとなくからかうかたちになるみたい?
あっ、平岡図書之介は、ポストトークのときも、あまり変わらなかったかな。
意外にも(?)、舞台上の姿勢・発声がよく、 “様式美青年” みたい。



和やかなポストトークをきいて、わたしたちも、
舞台の世界(あの世)から、スムーズに日常(この世)に帰ってきました。


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『アマデウス』モノローグのエネルギー

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『アマデウス』
作 ピーター・シェ-ファー
演出 松本幸四郎
@ル テアトル銀座(11/15)









ピーター・シェーファーの、トニー賞受賞作品。(1982年)
18世紀ヨーロッパの、
あの、かつらとドレスの華やかなりし世界。
はじまりのシーンは、暗い部屋。
老境の宮廷作曲家サリエーリは、過去をふり返り、
モーツァルトの若き死について告白をはじめる。まるで、死神のよう。
甘いもの好きだけは今も変わらず、
“メレンゲのピスタチオソースがけ” をペロリとたいらげる様子、
くすっと笑いたくなります。
彼がぱっとケープを脱ぎ捨てると、
舞台はそこから40年前の宮廷に・・・そんな語り(幸四郎節?)が、
ほんとうに流れるようにスムーズで、
この舞台が日本でも、もう400回以上も上演されている歴史がうかがえます。



キャハハハハハ・・・、
狂おしい笑い声をあげて、
あかるい舞台の中央に、走り出てくる恋人たち。(新キャスト)
モーツァルト・・・武田真治
コンスタンツェ・・・内山理名
才能の粉を世界中にふりまくような、青年モーツァルト。
苦虫を噛みつぶしたような顔の、悔しそうなサリエーリ。
ここでもう、2人の関係がバッチリ表われてる。



私がみる、今年3回目の武田舞台。
ふわふわの純白かつらに白タイツ、おしろいパフパフのモーツァルトは、
サリエーリが大好きなメレンゲみたいかな。
その生い立ちからくるエピソードのように、
前半は、子供のようなおバカなふるまいを連発。
(ちょっとお行儀のいい暴れ方は、幸四郎モードとの調和?)
後半は、現実と創作のギャップに苦悩。
ここでは、“オキマリの芸術家らしさ” なんかは意識させません。
凛々しい眉。この舞台のモーツアルトのこころは一瞬一瞬うごいてる。
哀しい最期のシーンは、ミュージカルならあの歌声がきこえるところ。
武田モーツァルト・・・これもまた、ストレート・プレイの当たり役になりましたね。



「名もなきものを、私は赦す」
客席全体に向かって、やおら大きく両手をひろげたサリエーリが、こう告げて、
舞台はおしまい。
功名心と嫉妬心から、
モーツァルトを破滅させてしまったサリエーリにも、
その自責から解かれるときがきた・・・ピーター・シェ-ファー的には、
そういうこと~。 といっても、まあ、「ゆるす」もなにも、
甘いものフリークのおじいさんのアタマって、なかなかはげしいものかしら。
日々のつぶやきは一瞬に生まれる。 けれど、戯曲のなかで、
一生つぶやきつづけたサリエーリって、ものすごいエネルギーを
もっていた・・・・・・“ブロードウェイのスタミナ” をふっと思って疲れました。
ここちいい疲れ。

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『泣き虫なまいき石川啄木』と猫と海

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『 泣き虫なまいき石川啄木』

作  井上ひさし

演出 段田安則

@紀伊国屋サザンシアター(10/20)

 

これは、わたしにとって、サクサク噛みごたえが

あって、なおかつ、とても消化のよい(よすぎる)

舞台でした。

 

幕が開いて、一場面がおわったところで、

日本家屋セットのふすまをパッとあけ、

着ながし姿で登場したのは、

石川啄木・・・稲垣吾郎

あ、“坊ちゃま”登場の記憶とかさなる。(今年5月の稲垣舞台)

これって、〈吾郎、文学青年になる@舞台〉の2011年第二弾か・・・。

はじめのうちは、あの坊ちゃまと、イナガキ啄木が、

ほとんど同一人物にみえたと言えば言えなくもない・・・けれど、

その存在に、とくに大きな違和感もないみたい。ふしぎ。

(このドラマが歌人の一代記というより、

ひとつの家族劇になっているからでしょうか)

 

そもそも、

“存在感”というのは、ふしぎな言葉。

ひとは、もちろん、その場にないものにも、 “存在”を感じるでしょ。

(不在こそが、ときには、もっとも大きな存在にもなる)

それに、“舞台上の存在感”と、“日常の存在感”は、とうぜんちがうもの。

わたしたちは、ふだん、

もし、自分の進路に、“舞台上の(非日常の)存在感”をもつような、

なにものかが立ちはだかってきたら、困るでしょ。

でも、この『泣き虫なまいき石川啄木』の啄木たちが、そのまま、

日常に下りてきても、たぶん、じゃまにならない。かさばらない。

(ちょっとうるさいけど)

 

父・一禎・・・段田安則 

母・カツ・・・渡辺えり

妻・節子・・・貫地谷しほり

妹・光子・・・西尾まり

 

わたしがみたところ、この石川家の基本図は、

父は、上手側につきだしたものほしで、目をとじて瞑想。

そして、主人公啄木は、下手側の文机に向かって、

家中の騒ぎに背を向けた姿勢をとっている。

この左右両極に距離をとった2人のかたちが、ブックエンドみたいで、キュンとなる。

ともに社会から疎外されつつも、

自分の世界をなんとか誇り高く守ろうとしている。(ちょっとズルくて、

でも、にくめない)

 

舞台中央でくりひろげられるのは、

母・妻・妹たちの愛憎。そこに、啄木の才能を信じる友人

金田一京介・・・鈴木浩介

が、足しげくやってきます。(あ、猫的存在?)

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『泣き虫なまいき石川啄木』は、1986年に初演。

(『キネマの天地』なんかと同じ年)

一人の人物の実人生を、作者井上ひさしが独自の想像で

ふくらませてみせるタイプの作品です。

この “井上流評伝劇”っていわれるものは、いつも、

なんてソウルフルで、キラキラしているのでしょう。

(『道元の冒険』なんかの一代記ものがすき)

 

この戯曲には、作者自身の妻の不倫騒動の顛末が書き込まれているという。

けれども、そんな同時代のスキャンダラスさは、今回の上演では

感じられませんでした。

歌人の啄木も、学者の金田一も、

妻のあやしげな行動に悩まされます。

金田一は、妻に、 

「あたしは、学者より、役者が好きなのよッ!」と言われたと大泣きしたり、

当時の“キリスト教女子教育”を受けた光子と、啄木は、イデオロギー闘争したり。

明治の社会制度の下、

この家族の男女の会話は、 時代をこえて、なかなかホット。

 

啄木の死後、結核の妻は幼い娘をつれて、

海辺に暮らすことになります。啄木がつづった日記を胸に抱き、

もういちどあたらしく生きてゆこうと決める。

海のほうから、おんなのこの明るい歌声がきこえてくると、

かき割りの向こうに、ほんとうに海がたっぷりとひろがっているように

みえるのでした。

 

演出も手がけた、父役の段田世界が、はんなり(?)しています。

どうしようもないのんべえのお坊さんだけど、家族の要になっている。        

“京風の盛岡弁”という感じのせりふ、ききやすかったです。

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ブラック寅さん風 『WEARHOUSE』

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演劇集団円『WEARHOUSE』 
構成・演出   鈴木勝秀
@シアタートラム(10/5)







1年ぶりに 、スズカツ舞台に会ってきました。 
これは、オルビーの『動物園物語』をベースにした、
スズカツ式実験舞台のシリーズ。(15年つづいている)



ほんとうに、この『動物園物語』って、世界中で、いつの時代にも、
いろんな角度からとらえられる戯曲。2人の見知らぬ男の、出会いの悲劇。
すぐにパッと、
去年の『アット・ホーム・アット・ザ・ズー』@シアタートラムも思いだすのですが、
『アット・ホーム~』は、作者オルビー自身が、50年前の自作に、
あたらしい前景(夫婦の断章)を、つけくわえてみせたものでした。
この『ウェアハウス』は、もとのテキストをふまえて
日本の現代社会にダイレクトに迫るものです。



ある初老の男(橋爪功)と、
地域サークル「暗唱の会」のメンバーである中年の男(金田明夫)との
ふとした出会いが、おそろしい結末に。



舞台上には、“スズカツ×円”
ということで、シャープな語りを、円熟演技でみせる、橋爪世界がありました。
橋爪世界って、機敏な動きがすごい・・・。これは、野田秀樹舞台のときの印象。
(年齢を超越したアクション)
そして、今年の4月の『ゴドーを待ちながら』で、舞台を文字どおり駆けめぐっていた
ウラジミールのあのエネルギー。そういうものが、こんどは、
また、ちがったかたちで感じられました。



中年男の“上着” を、初老の男が、なんだかんだ言って奪ってしまう。 
上着は、なぜか初老男にゾクッとするほどピッタリ。 
その佇まいから、 たちのぽっていたのは、 “他者” というものの熱量でしょうか。
まるで、ちょうど、かわいいおばけの扮装をして、
「trick or treat~」と言って、お菓子をもらって歩いていたイタズラッ子が、
急にドロッとゾンビに豹変したみたいな。
(これが・・・もう、“待つ” のはやめたウラジミールの正体なの・・・?)



離婚の末に、今は不遇な境遇にある初老の男からすれば、
サークル活動をする、編集者の中年男が抱える仕事や家庭の悩みは、
小さなことにもみえるだろう。
2人の会話が、秒刻みでズレていく緊迫感。 
そこに、“犬”の狂おしい吠え声が、かぶさってきて・・・。



結局、初老男の死によって、中年男はサバイブする。
彼は、ギンズバーグの詩集をとじて客席に問いかける。
-- it‘s  very  hot ,isn‘t  it? 
(そもそも、事のはじめに初老男は、彼にこんなふうに話しかけてきたのだった)
ここで、彼の生命のオーラが、底なし沼のように、しずかに光るのでした。     
うーむ、こわい。
情報にのみこまれて、
自分を見失いかけているひとは多いーーそうだ、僕は、僕なりに、
“僕と犬と上着” のバランスをとってゆこうーーなんていうモノローグは、
もちろん、なかったけれど。



タイトルのWEARHOUSEは、倉庫、問屋。
ということで、これは、私がずいぶん前に作った短歌。

おなかグルルってなりませんように・・・いろいろな音がある倉庫3!
                                   (モナミ作)


鳴るまえのじぶんのおなかの音が、じぶんだけに聴こえてるようなときってない?
これって、ある意味、“他者” を聴いていること、ともいえるのではないかな。
なんて、また、また、こわい。



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『キネマの天地』知人のお誘いで

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こまつ座『キネマの天地』
作  井上ひさし
演出 栗山民也
@紀伊国屋サザンシアター(9/7)



わたしが大好きなキャストが勢ぞろい。
バックステージ劇(映画界)に、
推理劇の要素がもりこまれてる。
そんな、井上ひさし喜劇なのですから、
まー、おもしろくないわけがないのでした。



この芝居の時は、1935年。当時も今も、
“女優” という人種ってこんなもの・・・みたいな感じは、
おかしいくらい変わらないのは、どうしてだろう。
華やかさの向こうの、舞台裏の彼女たちは、 
ワガママ、ジコチュウ、タカビシャ、ジイシキカジョウ、
ケイサンダカイ、カンジョウテキ・・・etc.(笑)



“女優を演じる女優” というスタイルを、
テンポよく、破綻なくみせていたのは・・・、

 
  日本映画界を代表する大スター(立花かず子)・・・麻実れい
  “母物映画”主演の第一人者(徳川駒子)・・・三田和代
  新劇出身で、妖艶な(滝沢菊江)・・・秋山奈津子
  人気上昇中の新進女優(田中小春)・・・大和田美帆


こんな4人の言葉の応酬に、
けっこう感情移入できてしまうのも、たのしいことでした。
バックステージものって、いつも、とても自由な気分になるので、好きです。
現実社会と、舞台のあいだの楽屋には、
  実は “人生のエッセンス” がギュッとつまっているから、
  “ひとの気持ち” がストレートに伝わってくる 。
  それで、 “演劇脳” のはたらきが、アップ



ドラマのきっかっけは、
映画監督・・・浅野和之 の
妻である女優の急死。(1年前) 今は亡き女優の死を検証していくうちに、
悪口を言い合っていた4人の女優のこころが、ふと1つにまとまって・・・これは、
もちろん、監督の企て。  
ベテランながら下積みのままの役者・・・木場勝己
が、女優たちを上手にだましちゃう。
女優・監督・下積み役者ーーそれぞれの背中に、
演劇人の、せつなさがみえるラストです。



そういえば、女優陣が、
どれだけ重度の白内障を患っているかを告白するシーンがあった。
主役をはる大女優であれば、ライトに当たる時間も多く、
したがって、白内障の度合いもひどくなる・・・そんな時代のお話。
新人女優の目のなかには、白い点が。 そのうち、点が、梅干し大となる。
そして、めでたく、大女優となったあかつきには、
視野のまんなかに栄光の白いボールがうかんで消えなくなるとか。
目を病むことは、映画女優(美人)のステイタスというわけでした。
(もしかして、今でも、その気味あり?)



かの “沢村貞子エッセイ”は、こんなことを言っています。
この芝居の時代と、ほぼ同時代から実際に映画出演していた作者が、
80代になってのこした言葉。

  「他人に意地悪な眼鏡は自分にも意地が悪い。」
  「現実の自分をよくよく知ったあげくに、ほんのちょっぴり、自分をだまし、
   甘やかしてやらないと・・・」            
                                     『寄り添って老後』より
                                  




あ、よい喜劇って、よい眼鏡みたいなものともいえるかな。
日常のちょっといやなことを、なんとかして、
たのしいモードに変換することはできる。けれど、
なんらかの喪失と、たのしさをつなぐことって、むずかしい。
そんなむずかしさを、井上喜劇はあえてひきうけてゆく・・・・・・。

2011ebisu011

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