うさぎ

うさぎ、またね。
モナミ
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『その妹』
作 武者小路実篤
演出 河原雅彦
@シアター・トラム(12/16)
おお、“白樺派”!
大正時代って、よくも、わるくも、
ロマンやノスタルジーの時代として、
振りかえられることが多い。
武者小路実篤は、“生粋のお坊ちゃま作家”
なんて、皮肉っぽくいわれる。
けれど、いつの時代も、ひとは、
ほんとうにクリエイティヴになっている(なろうとする)とき、
いつもまっすぐにある武者小路魂に、ある程度共感せざるを
えないのじゃないかな。
(武者小路って、やっぱり、たしかに、
資本主義に収まりきらないドラマと “生命そのもの” を
つないだ作家の一人っていうことでしょうか)
客席をみわたすと、ひとびとは、 “高齢組 ”と“ヤング組”に
大きく分かれていたみたい。
“いかにも“白樺研究、ン十年” 、“心は、今も新しき村に!” みたいな
白髪のひと、チラホラみかけました。
後ろの席の若いカップルは、どうやら妹役の蒼井優ファン。
戯曲『その妹』は、考えれば考えるほど、さみしいお話に思えるのです。
開演前、舞台に〈妹〉の大きな肖像画が掲げられている。
くぐもった色に、 深い想いを秘めた女性像がうかぶ。
これは、社会の中で生きてゆく兄妹の姿を、
静かに、せつなくみつめたドラマ。
盲目の兄と、生きるためにのぞまない結婚をする妹ーー。
とてもかわいそうというか、
ほんとうに哀しいというか、
そこはかとなく怖ろしいというか・・・。小説『馬鹿一』なんかにみられる、
向日性をなんとなく思っていましたけど、作者の屹然とした人生観を舞台に
垣間見た気もします。
ただ、人間のネガティヴ要素を、青空に投げて、
溶かすような “熱”が、この作品にはたしかにあるみたい。
つまり、観劇中わたしは、しんみりどころか、真正面からキュンキュンの連続。
それでいて、レトロムードがドリーミー。舞台の銀河を、あたまが浮遊。
(というか、“大正生命主義”のことばには、ダイナミックな空間感覚があるでしょ。
そのままで、現代のSF作品ともいえるんじゃないか、と・・・・・・●□!▲◎×?)
さあ、このキャスティングをみてください。
日露戦争で負傷、盲目となった画家・野村広次・・・市川亀治郎
広次の妹・静子・・・蒼井優
広次の友人・西島・・・段田安則
西島の妻・芳子・・・秋山奈津子
高峰・・・鈴木浩介
高峰の妻・綾子・・・内田亜希子
女中・・・水野あや
小間使・・・西尾まり
一見して、今年後半からのわたしの観劇をおさらいするかのような面々も。
(『キネマの天地』とか、『泣き虫なまいき石川啄木』とか・・・)
まず、広次は、視力を失う前は天才画家と評された。絶望から立ちあがり、
これからは小説家として生きてゆこうと決意。妹にたすけられながら、気を張って、
元気にふるまってもいる。妹を、不幸な縁談からなんとか守り抜こうとするも、
経済力不足。社会の中でのじぶんの力のなさに、
うちひしがれてしまう・・・そんな役。
映画ではかつて佐田啓二なんかが演じたそうです。この舞台の亀治郎広次は、
歌舞伎色。というか、ちょっと江戸の噺家のようなしゃべり方で、
“アート系”の繊細さはあまりみえない。
広次の生来の素直さや、一本気なところはカラッと伝わってきました。
この舞台のレトロポイントは、衣装・セットだけじゃありません。
原作どおりの “セリフ・話し方” が、趣深いです。
静子役の蒼井優演技は、〈妹〉がもつ優しさと強さをしっかり
表現していたと思います。
結局、彼女は、周囲の状況をみて、
そのいや~な縁談をみずからの意思で承諾。(するということになっている)
自分と兄の生活を切り開いてゆくために。
〈娘〉としては弱くても、〈妹〉としては強い。兄の友人などと
まったく対等に(むしろ上から )
言葉を交わし、わたり合う様子がおもしろい。
“大正の、旧華族調の話し方”みたいなの
(「ごめんあさーせ」とか、「さーょなら」とか) も特訓したのかしら? スゴイ。
そう、あと、背の高い着物姿、かぼちゃ円盤型の髷、なにげない所作は、
けっして、“噺家の兄をもつ(?)、おゆうちゃん” に
なってません・・・演出家の目を感じました。
さて、小説家の西島は、
広次を文壇に紹介したりしているうちに、静子に恋してしまうのです。
例の縁談を阻止するべく、収入のとぼしい兄妹の自立をたすけ、
住まいと生活費を与えます。
そのために、実は自分の蔵書をほとんど売りつくすところまで、
静子に気持ちが
傾いているのでした。妻をもつ彼は、悩みます。
〈悩み〉は、大正時代のスパイス?
ふふ、段田・秋山夫婦は、絵になっていてかっこよかった。
夫(段田)は、『泣き虫なまいき石川啄木』のときの、
“ファンキーお坊さん”の爽やかさとは
またちがう、しんねりむっつりとしたムード。これも、ぴったり。 文士のことばも、
ききやすかった。妻(秋山)も、適役。
夫の気持ちを知り情念をみせるところ、きれいでした。
ドラマの味わいをふくらませている、高峰夫妻の存在。
美術家の高峰は好青年のようだけど、自分勝手で頼りにならない、
彼自身に悪気はないとはいえ、
まわりのひとのきもちに無頓着・・・そんな感じが
よくでていました。(段田とともに 『泣き虫なまいき~』に出演していた鈴木。
このときは、鈴木が友人のためにお金を出す学者役だったけど、今回は、
“良心の演技”を段田に託したかたち?になって、
イライラする存在感がおもしろい)
広次は、チャーミングな高峰の妻にいまもむかしも、❤。
それから、西島家のお手伝いさん(水野)は、ちょっとの登場。批評的な役。
小間使(西尾)は、広次のめんどうをみる。(『泣き虫なまいき~』のときは、
“妹役” でしたね)
ということで、今思うと、これは、ごくあたりまえの “日本人の日常会話” を
美しく、わかりやすくきかせる舞台のひとつだったのかしら・・・。
その意味で、“現代口語演劇・・・静かな演劇”といわれるものの元のパワーに
ふれた感じもして、たのしかったのです。
といいつつ、わたし・・・
広次・・・ジョニー・デップ、静子・・・キーラ・ナイトレイ
とかのスクリーンもみてみたい・・・あ、ちがう?(笑)
演出家は、このドラマを、
「(妹の)身売りをめぐるお涙頂戴話」にしてはいけないと指導したそうです。
パンフレットでは、あくまでも静子は結婚を自分で選択したと強調されています。
静子は、現実をみて行動する女性・・・そんなラインです。
でも・・・この舞台をみて、ほんとうはそういう“説明” は
当たらないような気もしました。
この作品には、当時の男性中心の社会全体のしくみを
定点観測的にみつめるようなフレームがあります。
そこが、こわいところでもあり、また魅力的なところでもあるのではないかな。
(この芝居とは別に、なんだか今、
“マザコン”と “ヒューマニズム”ということばがごちゃごちゃに
なっている押し入れから、
“女子力 ” ということばをとりあえずひっぱり出してくるのは、つまらない)
『その妹』は、現代にも生きる、とてもボールドな作品とあたらめて感じました。
“人間のつよさ”は、
自分でもはかりしれないほど深い洞察に支えられている。
では、“作品だけが伝えられること” って、
どんなものだろう・・・来年の舞台空間にたずねたい。![]()

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『天守物語』
作 泉鏡花
演出 白井晃
@新国立劇場中劇場(11/9)
欧米の、ちょっとダークな、
大人のファンタジー作品がお似合いの、
白井晃氏の演出が、この泉鏡花世界とも、
いかにも “ふつう” にマッチしていました。
翻訳物でも、日本の幻想譚でも、そこから “あやしさ”を
ひきだしてみせる白井氏。
“あやしさ”って、“空間のズレ”のこと・・・真実の居場所は決まっていない。
舞台から客席に謎が投げかけられます。
さて、これは、
妖怪と人間の心が通うお話。
姫路、白鷺城の天守閣に棲む魔界一族の、富姫・・・篠井英介
は、先ず冒頭で、現代の男性の姿をして
舞台に現われる(気を失って倒れている)という演出。
(一緒にみた友人は、
この、今とむかしをつなぐ異化効果 に 「?」となったと言っていますが・・・)
幻想的な舞台展開がつづき、
登場人物は、
“きものにみえて、きものじゃない” (byポストトーク)衣をまとって、
わたしたちの目をさらいます。
闇に舞う、妖怪の女童たちの、振袖の紅。
深く、鮮やか。なんとも、キャッチー。これは、照明との関係も考えてつくられた、
スタッフ渾身の紅ということでした。
今思うと、わたし的には、この舞台のカラーは、
青と黄色。(実際に舞台上にはあまりみられなかったはずだけど)
時空をこえてつながる心のカラー~。♪
富姫(天守夫人)と、
播磨藩の鷹匠の超ピュア青年、姫川図書之介・・・平岡祐太、
この二人は、あっというまに恋におちます。
(ここでも、同行者は、なぜ二人が、急にあれほど
つよくひかれあうことになるのか、この舞台からはわかりづらい・・って
“近代的な” つぶやきをしてました)
二人の出会いのシーンをみていて、わたしが、
あっ、今、図書之介が完全に
になった、と思った瞬間があったのです。けれど、
あとで、どれどれ・・・?と原作をよみなおしても(調べモード)、
そのきっかけとなった(と、わたしが思った)
富姫の “セリフ” が、どうもみつからないみたい。![]()
かわりに、図書之介の、思いやり深く、なおかつ潔い発言に対して、
夫人が、「すずしい言葉だね」と誉めて返しているのが、やっぱり、
おもしろいなと思います。
そのあとには、「ああ、爽やかなお心、そして、貴方はお勇ましい。・・・」
というふうに、夫人的にも図書之介に、どんどん
に。
まー、この高いところに棲む妖怪たち(空間を把握する目をもつ)にとって、
「すずしい」は、とてもポイントの高いこと。
富姫の妹、亀姫も、「お涼しい、お姉様」って言っている。
二度とここへ来てはいけない、という禁を破って、
図書之介が富姫のもとに戻る道に、煙のようにひらめくくろい布。
それから、さいごに救われる二人の愛を、優しく照らす月の光。
観客になじみのある和の様式が、ちょっと今っぽくみえます。
シンプルでも、 場面を十分輝かせる舞台効果っていいなと思うのです。
それで、富姫は、今の篠井ワールドに、違和感がない役柄のようにもみえました。
あたらしいことに挑戦するというよりは、
とってもスムーズに舞台全体に溶け込んでいた感じの、篠井氏。
ポストトークは、おちゃめ。(?)
1歳年上の白井氏を、むかし、「白井のお兄ちゃん」と呼んでいたとか。
そういえば、白井氏の登場するポストトークって、
たいてい、出演者が白井氏をなんとなくからかうかたちになるみたい?
あっ、平岡図書之介は、ポストトークのときも、あまり変わらなかったかな。
意外にも(?)、舞台上の姿勢・発声がよく、 “様式美青年” みたい。
和やかなポストトークをきいて、わたしたちも、
舞台の世界(あの世)から、スムーズに日常(この世)に帰ってきました。
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