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『トライブス』のグラデーション

Tribes
『トライブス』
作      ニーナ・レイン
翻訳台本 木内宏昌
演出    熊林弘高  
@新国立劇場小劇場(1/16)





2010年ロンドン、ロイヤルコート劇場初演の作品。
ひととひとがかかわり、
個性をもつということは、
透明でなくなること・・・舞台に痛みがあふれている。
“コミュニケーション”の枠から、突き抜けたり、
こぼれたりしてしまうような
“感覚”が、まっすぐすくい上げられている。



聴覚障害をもつビリー(田中圭)は、
家族の会話を読唇術で理解することで、静かな人生を送っていた。
イザベル(中嶋朋子)と出会うまでは。
イザベルの兄もビリーと同じ障害をもっている。さらに、彼女自身
じょじょに聴覚を失い、やがて全く聴こえなくなることが分かっているというのです。
彼女は、そんな運命をしなやかに受け入れているかのよう。
親しみやすく、どこか不思議なモード。
ビリーやその家族は、たぶん、
彼女の中に、ある一つの甘美な事実をみつけてしまうんだと思います。
人生におけるなんらかの決定的な重荷(身体的な障害に限らない)は、
人の魅力を開花させるーーという事実。



ビリーの家族も、おもしろい。
父(大谷亮介)は評論家、母(鷲尾真知子)は小説家志望。
兄(中泉英雄)は論文執筆中で、妹(中村美貴)はオペラ歌手として苦戦中。
・・・とまぁ、テッテイして、アタマデッカチ文化系の〈種族=トライブス〉です。
自閉的で、自己完結した関係性を思わせるモノトーンのセット。
その中では、議論あり、絶叫あり、母娘の奇妙なスキンシップあり。



この”少数民族的”一家と、
『奇跡の人』のヘレン・ケラーの物語が、客席の私の中で一瞬重なりました。
はじめは、ヘレンに対して冷ややかに接していた兄。でも、その心の内には
本当は深い悲しみがあった。

しかし、ビリーの兄ダニエルは、もっとセンセーショナル。
吃音の症状をもちながら生きづらさを抱える彼は、イザベルを誘惑。
(サリバン先生にちょっかいを出すヘレンの兄とはちがって、ウエットなのだ)
1幕で、イザベルのワンピースは白。2幕では、グレーへと変わる。
ダニエルにとって、実はビリーこそ唯一の精神的な
支えだった・・・慟哭に包まれた告白が、
イザベルの悲しみをいやおうなく覚醒させていきます。
一方、イザベルとの恋が社会化へのステップとなって、
どんどん強気になってくビリー。ずっと音のない暗い世界にいた時間が、
今は憎しみを含む激しいエネルギーとなって、とびだしてくる。
うずくまるダニエルとイザベル。



舞台中央のピアノが、家族の食卓にもなるという美術効果がクール。
セリフは、まるで、
人の声よりひと足先に鳴るピアノの音を、
一拍遅れで追いかけながら歌われるジャズソングにもきこえました。

あるいは、彼ら(私たち)を導くキーノートはいつも聴こえない。それでも、
今を生きていたい、という気持ちだけはマグマ状にうごいているのだな・・・。
(聴覚障害をとりあげた舞台、映画などで、よくみられる
バタバタ・ガチャガチャとさわがしいシーンって、それは
しずかな涙とセットになる)



このドラマは、”特別”な状況(聴覚障害)の中から
とても普遍的な人間の感情をとり出してみせるようなスタイル。
ドラマの核となる主役のビリーとイザベルは透明で、ある意味
様式(モード)的といえます。
(言ってみれば、”梅干の種”みたいな存在)
一方、主役以上に癖のあるビリーの家族は、雰囲気(ムード)たっぷり。
たのしい役どころでもある?(しゃべる、しゃべる、しゃべる・・・)
日本語で上演されたこのドラマでは、モードとムードが、演出上やや
ごちゃごちゃになっているみたい、個人的にはそんな感じがしました。
まぁ、海外“新鋭”翻訳劇には、日常に持ち帰ろうとすると、
急にかさばるアイテムもいっぱい入ってるから、気をつけないと~。




さいごにビリーは、“特別” という言葉の意味を超えたでしょうか。
ビリーが手話を覚えることを、家族は許さなかった。そんなことをしたらビリーは、
自分たちの言語とは別のもう一つの言語をもってしまう。それは
透明ではなくなること。そして、社会の中で、完全に“特別な存在”に
なってしまうこと。
(そういえば、以前私が手話を習っていたとき、手話が市民権を得るまでに
さまざまな困難があったと教えられました)

“特別”と“ふつう”の境界を、
作者は、“聴くという感覚 ”について語りながら、次第にあいまいにして
いくのです。
世界を区切る壁のむこうには、
ただ極彩色のグラデーションがひろがっているだけ。
私たちは、誰でも、その漠然としたひろがりの中の
どこか中間地点に頼りなくうかんでいるにすぎない
(意識・無意識にかかわらず)ーーそう、感じました。

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2013年度下半期舞台思い出しピックアップ!①


もう、3月。
今年も気になる舞台がつづいています。よし、お芝居ブログも、
またスタートしなきゃ。
そのまえに、昨年後半(ブログ、ストップ中)にみた舞台についても、
ちょこっとずつ”思い出しレビュー”しておこうと思います~。
 



まずは・・・酷暑の夏あたりから。


『ISAM~ 20世紀を生きた芸術家イサムノグチをめぐる3つの物語~ 』
作・演出 宮本亜門
@パルコ劇場(8/25)

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これは、どことなく、文部省推薦風であったかも。
(アモン白熱教室?作者は
ある意味マイペースな感じもするので、やっぱり文部省推薦じゃなかった☆)
舞台の初めと終わりに、飛行機のシートのセットが浮かび上がって、
彫刻家イサムノグチと一人の女性乗務員が静かに会話するシーンがある。
イサムは、戦時下に日米のハーフとして生まれ、
生涯にわたって東西文化をつなごうと奮闘したわけですが、
飛行機のシーン以外では、彼の、”ヒリヒリした孤独と創作への情熱” が、
われわれに語られます。



舞台上に、あの「ポーン」
という機内のアナウンス音が響くとき、一瞬睡魔もやってきた・・・。
いえ、それにしても、空中(機内)で、女性乗務員と語らうスマートさと
地上でさまざまな問題にぶつかる不器用さーーどちらがイサムの本質でしょう?
〈ISAM像〉の原景として、幼いころの彼が、アメリカ人の母(夫と別れたあと、
あえて厳しくわが子に接した)の愛情を求めた姿は、
とてもていねいに描かれています。



イサムを演じた窪塚洋介は、稽古中、
「きみのなかにある、フェミニストの要素をもうちょっと抑えて」みたいに
演出家から注意された、と語ってる。
ついつい相手役に合わせてしまうことなく、前に出るーーそんな、
舞台上の演技には、逆に、相手役のペースを壊さずに、      
目の前の扉をうんと大きく開けておく余裕みたいなものが
必要なのかしら、などとちょっと思ったりします。




英国ロイヤル・バレエ団『不思議の国のアリス 』
@東京文化会館(7/4)
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注目のマッド・ハッター(スティーヴン・マックレー)は、タップなども踏んで軽やか。
兎(エドワード・ワトソン)は、作者ルイス・キャロルと一人二役で、
重ためのジャンプが、素敵。

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そして、アリス(サラ・ラム)はというと、
美しいラベンダー色のチュチュの冒険少女になっていた。
終幕、赤タイツの“マカロン王子”のハートのジャック(アリスの恋人)と、
たのしそうに踊る・・・微笑ましい。
そういえば、確か、わたしが読んだある記事は、この舞台について、
こんなようなふうに紹介していた。
ーー「アリスという少女は、とかく無個性に映りがちだが、
2013年のバレエ舞台に生まれたアリスは、
今までになく生き生きとして、新しい」
わたしは、アリスを〈無個性〉と思ったことはないので、この評は意外でした。
えっ、〈生き生きしたアリス〉?それだけじゃ、ちょっとつまらない?
やっぱり、アリスって・・・決して〈かわいい〉というのじゃない、
今の無機質なタッチのサイバー少女ともまたちがう、
〈蒼白のアリス〉がいい、と思っています。



『かもめ』
作  アントン・チェーホフ
演出 ケラリーノ・サンドロヴィッチ
@シアターコクーン(9/16)
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「意地悪な戯曲だなって思いますね」
と、パンフで語っているのは、トレープレフ役の生田斗真。
そんな彼は、舞台上では、蒼白の横顔で、
悩み多すぎる、文学青年の独白を、客席へたっぷりと聴かせていたのだった。

チェーホフの芝居は、一般的に、よく、
「何も起きない=退屈な芝居」というふうに言われるでしょ。でも、
そんな理解の矢印は、以前も今も、ぜんぜん、わたしの的にあたらない。
チェーホフの舞台の上には、さまざまな登場人物の、
さまざまな ”感情” が、こんなにふくらんでいるではないか。



この舞台『かもめ』の、
“人間臭さ” と ”やわらかさ” は、
今までの『かもめ』の1.5倍・・・いえ、2倍以上。(硬質なところもあり)
アルカージナ(大竹しのぶ)の、プロレス。
ニーナ(蒼井優)の、奇声と涙。
トリゴーリン(野村萬斎)の、作家の身勝手と保身術。
遠近感を意識した、一幅の絵のようなセットの上に、
言葉が、
冷たくも熱くもない、常温の泉のように、こんこんと湧き出てくる。
結局、このドラマの中の ”意地悪DNA”って、本当は一体どこからきて、
どこへゆくものなのか・・・さあ、こたえたまえ、トレープレフ君?
(なんてことを、トリゴーリンは言ってないけど)



確かなのは、
このケラリーノ版『かもめ』を、わたしは、今までにみたどの『かもめ』よりも、
まっすぐに、すっかり集中してみることになった!ということ。


          (2013年度下半期舞台思い出しピックアップ②へつづく☆)


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