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『スーパーアメフラシ』


「かばん」メンバーの
山下一路さんの第二歌集『スーパーアメフラシ』は、
四十年の“時とうた”をとじこめた一冊。

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                                  迎春         





つぎつぎと夜のプールの水面を飛びだしてくる椅子や挫折が  

飛ぶことに目を背けたらほろほろ鳥その延長にヒトが位置する   

今までの人生すべてサンプルで本物の恋がシチリアにある  

 

 “短歌定型”は、しばしば、記憶の旅のスーツケース的なものに
 例えられたりする。といっても、
 山下作品では、モノ・人・鳥獣がまっすぐならべられて、
 時々標本的にもなる。

 

 こういううたのラインは、北欧式頭脳によって
 つくられるものだろうか。いえ、今日の憂いをさかのぼって
 つき抜けていくあのシチリアのレモンが、
 アルバムの下からのぞいている。


                         なまり
暗闇に折りたたまれていた鶴をほどくと鉛 三月の空    

人体はパイプオルガンでできていてときどきずれる通奏低音   

このメールアドレスはすでに登録されています。不幸な自分  

 

 耳をすませばすますほど、
 「鉛」「通奏低音」「不幸」ということばの響きは、
 おもたく、不気味。
 それでも、これらのタームはメカニカルに選択されて、
 一首の上でまったく矛盾を纏わないようにみえるのである。




大事なことの少ない今日一日を挟んでいるペーパー・クリップ  

ポツポツとボールペンで点打って「生き方論」としてどうですか  

 
 この「ペーパー・クリップ」はやさしい。「ボールペン」のほうは
 どことなく執拗。
 ところで、私個人的に、2018年には愛する文房具をもっとうたいたい。
 机をはみ出してとことん愛せるものたちに会いたい。



                                そら
欲しいものほしかったものが別れてならぶ薄紅色の空のお店に 


 2017年にみた舞台を、なぜかほんの一瞬唐突に思い出す。
 チェーホフの『ワーニャ伯父さん』(ケラリーノ・サンドロヴィッチ演出)に
 でてくる娘ソーニャは、絶望のラストに天を仰ぐ。でも、
 このうたの「空【そら】)のお店」はネットショップ的なものかと考えれば、
 ソーニャはたちまち消えて、現代の赤ずきんたちに変わってみえてくる。

 
 「薄紅色」はここまでひんやりと色あせる。
 作者のビジョンのなかで、シンパシーと皮肉は、
 冷たく手をつないでいるのだろう。






とつぜんのスーパーアメフラシ父さんの見る海にボクは棲めない




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『転生の繭』『パパはこんなきもち。』


「かばん」メンバーの本多忠義さんの第二歌集『転生の繭』は、
『パパはこんなきもち。』との“2冊組”。


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五・七・五・七・七は、
作者の“実人生”を、
読者に知らせやすいかたち。
それでいて、
そんなしがらみに、
読者を決して埋没させようとはしないもの。逆に、解放する。


作者の鼓動すら、
一瞬すりぬけて、定型にのって詩はやってくる。





『転生の繭』



見回りの途中でカモシカを見かけ家庭科室にトルソーといる 
  

 
 カモシカを目撃した、その美しい瞬間の鼓動は身体に溜められて、
 「トルソーといる」時間へぽん、と放たれる。それだけで、
 ひとつの心理的な圧が伝えられる。日常から野性へ――
 “うた”たちは踊るようにはみ出したり、またちゃんと戻ってきたり。
                 



誰も詩を口にしないから夕映えがなかなか消えてくれないのです
  

 
 詩って何?こたえは人それぞれ。
 でも、ある時、“なんでもない、こころからのふつうのことば”と
 感じられるものに触れて、それを誰かが詩と呼んでいると、
 あとから知らされるーーこれは、なかなか“カオス”な体験にもなる。   


 「夕映え」は、たとえば、まるで、
 劇場の舞台を包む、古めかしいビロードの赤い緞帳のよう。
 「口にしない」(ことばにしない/食べない)ものには、
 美しくも怖い心のドラマが含まれたままなのかもしれない。                                     
                         



ほんとうに会いたいひとはこの場所にいなくて星と嘘を重ねる 
 

 「ほんとうに会いたいひと」が近くにいない、それは今、
 特別な悲劇というより、日々のなかでふっと感じる感覚でもある。
 「星と嘘」という文字をみると、切なくもとんちんかんな、だけど、
 とびきり一途なシナリオを連想する。





春の雪記憶に溶けて転生の繭に内から外から触れる
    

中国語飛び交う街でつながれる手はささくれのないほうの手で  

 
 「繭」は、生命の光の結晶。「ささくれのない」手は、大切なひとの
 手をしずかに包む。
 “リアリティー”でもなく、“ドラマ”ともまたちがう、
 「ほんとう」のことばを探っていく。手と手の触感。




『パパはこんなきもち。』

目をつむりモロゾフの缶投げ飛ばす息子にふたのサンタも甘い 

目をつむりながら隣に乗るきみが明日出会えない夕陽に染まる  

ストップモーションで記録してうたう、“飛行機的”な視線が、
熱い。



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あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます


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                          元旦





ぴんくのこども遊んでいるよ手をふれば大人みたいにややふりかえす






スクリーンと最前列の椅子たちはそう、ズレていてみちる福音




                                 歌誌『かばん』掲載







今年もよろしく!




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