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モノクロ

モノクロ

 

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 このごろ、いいな、と思う外国の新しいモノクロ映画を

観ていると、さりげなく「日本」がでてくる。「日本」が書店のレジに

並んでいると、トレンチコートのひとにぶつかる。すると、レジの

奥からもうひとり別のひとがでてきて「日本」に声をかけてくる。

「あなた、ミシェルでしょ?」「いいえ?」「うそ、ミシェルって

いうんでしょ?」「いいえ、ミキですけど?」「三木さんですか?」

「失礼ですけど、あなたは?」「あ、失礼。お待たせしました?」

「はぁ?」「ねえ、あなたもおっしゃったらいかが?」「何と?」

「お待たせしましたくらいおっしゃたらよろしいんじゃないこと?」

「まあ、なぜ、あたくしが?」「だって、それがあなたのミッション

なのではなくって?」「はっ!どうして、それを?」「あなた、きび糖を?」

「ええ、スプーン2杯。ところで、あなた、あのジョニーを?」

「あー、そうよ、ジョニーなら・・・あいかわらずデップなんだわ。

ミルクを?」「あら、それでも大丈夫よ。案外イカしてるわね?」

イカれてるわね?キャベツを?」

――――モノクロは、「ふ、
                 ふ、
                     」とつづくのさ。



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『竹取』 『萬斎解体新書~その弐拾八~』



『竹取』@シアタートラム  10月7日


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かぐや姫meats太鼓。すばらしい。幕開き、完璧な「静」から
激しい「動」へのドラムロール(古川玄一郎)。ドラムの響きが
トラムの舞台空間に満ちてゆきます。
翁(小林聡美)は、能(狂言)の翁の身体が
とても合っていて、スタイリッシュで爽快とさえ
いえる感じです。(宝生流シテ方佐野登とのコラボ)
一方、姫(貫地谷しほり)は、澄んでいるけれど
アンニュイな声のトーンが印象的。
 
 小野寺修二がマイムからつくりあげる劇世界は、雄弁です。
2016年にみた、『あの大鴉、さえも』では、
言葉と身体が縦横無尽に駆け回って、たのしい緊張感が
生まれていました。この『竹取』では、よりシンプルに身体表現の
チャーミングさ(藤田桃子・崎山莉奈・小田直哉)に
光が当てられているようです。
 
 なんといっても、ラストに、かぐやを月へと見送ったあと、
翁(小林)が握ったバチが響かせるあのリズム! これは、もう
「翁」というよりも、ひとりの女性の表現として言葉をすっかり
超えていました。(心が震える感じ)
 
 さて、思い出してみます。16年の別役実版の
『かぐや姫伝説』(『月・こうこう, 風・そうそう』)の思索には、
ある意味ミニマルともいえる戦後社会批評のビターさがあったと
思います。そして、このトラムの『竹取』には、
また、ちがったミニマルさがあって、それは小さくてもあかるい、
フォークロアの潔癖さにつながっているのでは。
 
 それで、今ふっと思ったんだけど・・・「ぼくは、竹を割ったらなかから
餅が出てくるような性格」なんてふだん言うひとがいるけれど、
なかなか魅力的。(ぼくは、かぐや姫だって言ってること・・・?)
『竹取』は、もちもちしたビート感のある舞台だったのでした。

 

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『萬斎解体新書~その弐拾八~』
@世田谷パブリックシアター     10月10日
ゲスト・・ 落合陽一
      佐藤オオキ

  
 

 スマートな映像で紹介される落合の美術的プロジェクトを、
なんだか個人的には90~2000年代に帰ったような、
懐かしい感じでみていました。実際にある〈廃校〉全体を
アートにしたり、なんでもないもの/滅びゆくものを
再構築してみせたり・・・当日の衣裳のYsのような黒服も。
 
 今回のテーマはズバリ「日本」だったけれど、二人が世界の現場で
体験したことについてなんかをもう少し実際に聴いてみたかった
気もします。(ほかのメディアで、紹介済み?)佐藤のデザインは、
それがオフィスや住空間をとびだした夢になるとき、
寺山修司とはちがう街頭演劇みたいになりそう?二人のトークの
言葉の数量が、三島の『サド侯爵夫人』くらい多かった。

 

 
 落合の仕事ではまずその場に固有の価値をぽんと
切り出していく――いっぽう、佐藤の仕事では、さまざまなひとの
立場をいったん分けてそれぞれに考えていく(ソンタクじゃなくて)
ーーそんな対話も、なるほど、と聴きました。

「akubi1.mp3」をダウンロード

    (B.G.M.「あくび1」byモナミ)

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『シャンハイムーン』、『子午線の祀り』 

らんだむ思い出しレビュー 月と星



『シャンハイムーン』 『子午線の祀り』 

 マチネでしたけれど、まるでプラネタリウムのように、
月と星いっぱいの
夜空が映された舞台をみました。
『シャンハイムーン』には、大きな月。
そして、『子午線の祀り』の舞台には、飴細工を散らしたような、
満天の星空。あの大きな魂にひととき包み込まれているような、
あのこころがしーんと鎮まる感じ、忘れません。




1.『シャンハイムーン』

 登場人物の「人となり」が
よく伝わってくる井上ひさし戯曲のなかでもどちらかというと、
これは静かな、地味めなほうの作品かなとも思いましたが、
熱いものが秘められています。
 舞台セットのバックに投影されていた大きな、大きな月。
終幕、いよいよこの世では危うい 存在になった魯迅は、
吸い込まれるように月へーー蓬髪の歩みが青白く妖しい光を放って、
殺気を感じました。




2.『子午線の祀り』

 この『子午線の祀り』の舞台のきれいな星空、忘れられません。
去年の七夕のころにみて、今でも思い出すと
ほ-っ、と気分が安らぎます。

 『平家物語』の世界観をベースに、壮大な宇宙にある視点から、
「人間と宇宙との交わりを暗示する」、というところまで
考えられています。
この公演にかなり先立って披露された、
リーディング形式の上演も興味深いものでした。
テキスト朗読は、言葉が粒立ってきこえてきて、
この戯曲の「群読」というスタイルの骨格がよくみえました。
この「群読」の方法、ぜひ短歌朗読のなかでも
今すぐみんなでやってみたい!(リーディングって、たとえば、
ひとつの曲のメロディーだけじゃなく、ビートづくりの面も
分かるみたいで、好き)



3.ところで、10月には『萬斎解体新書~その弐拾八~』をみる予定。
   
 ここからは個人的なつぶやき⇒
初回からずっとみてきているこのシリーズだけれど、
前回が終わった時点で、「もう、『 解体新書』のチケットをとるのは
やめよう」と一度考えました。このクロスジャンル・トークも、
このごろは、粋なノイズは少なめで、ギロンの噛み合いが
ゆるくなったような感じです。でも、これも続けていくためには
しかたないことかもしれませんが・・・。
 『萬斎解体新書』のセッションは各テーマ一回限りだけど、
そのとき生まれた言葉はどんどん、
ずっと樹木のように伸びていくのがいいなと思います。


「萬斎解体新書のうた」をつくってみました 

「kaitaishinsho_2.mp3」をダウンロード



 

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電気の精(短歌朗読付き)

電気の精

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ゆめのように滅びるための野球帽こむらがえりのわたしを隠す




ラジオから流れてくるからなつかしい わたしの家に降らなかった雨



「私だ。きみの樹木医だ」このごろはことばが踊る映画がすきです



相談にのれているならうれしくて気配あつめて麿赤兒する



その毬のなかには鈴はあるかしらインスタグラムはすこし考えてる



古服を捨てられない が止まらない みんなだれかの無限であること



想念がつくる海とか虹とかをずっと猫と呼んでいました



                              (歌誌『かばん』7月号掲載)





朗読はこちら

「denki5.mp3」をダウンロード

(B.G.Mもモナミ作成)



Denki


















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