みてよかった…1月〰5月の舞台・映画などから⑤(『エレクトラ』他)

4月
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『エレクトラ』@世田谷パブリックシアター
原案・原作 アイスキュロス
劇作・ 脚本 笹部博司
演出 鵜山仁

小柄な、ボーイッシュなエレクトラ(高畑充希)、よかった。
汗だくで、エネルギーを一直線に出し切っていても、
ちょっと癖もあって。
クリタイムネストラ(白石加代子)は、
とてもたのしそうに演じていた。
わぁっ、あの自在な語りの世界が、なんだかさらに
バージョンアップしてる!
今も成長中なのだろうか?





5月



『草間彌生  MY ETERNAL SOUL』@国立新美術館


大きな作品展を、以前にもみた憶えはあったけど、
今年また、みてきました。やっぱり、草間作品には、
あらゆる創作に共通するテーマがあらわれていると思うから。
そういえば、だいぶ前のこと。
今はもう閉館してしまった、シブヤのシネマライズの
スクリーン前で、自作詩の朗読パフォーマンスを披露する
「ヤヨイちゃん」をみました。あのころと今と、姿変わらず。




映画『ターシャ・テユーダー  静かな水の物語』



またもや最終日にかけこんだのです。
ターシャの庭のすばらしさより、
ターシャ本人がいい感じにへんなひとであるところに
光を感じました。



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★レビューつづく








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みてよかった・・・1月〰5月の舞台・映画などから④(『萬斎ボレロ』他)


4月

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★世田谷パブリックシアター20周年記念公演


『萬斎ボレロ』


今年は、世田谷区民招待公演と、一般公演と、
2回もつづけて 「ボレロ」をみちゃった。
この2回、ちゃんと、衣裳や演出がちがったのです。
区民招待の日は、舞台中央奥、御簾のかげからしずしず登場。
白髪下げ髪ロングヘアー、繻子の衣ずれ・・・厳しく、優雅に。
次にみた一般公演では、登場は上手から。
烏帽子スタイルで、凛々しく、すがすがしく。


私は、今年の下げ髪lバージョンが、
これまでにみたボレロのなかで一番好き。
「ホワイティーくんの絶対跳躍」、お見事なり! 
「萬斎トーク」のほうは、
「わかりやすい」ものだけをよしとはしないでいきたい、
世田谷・三軒茶屋から世界へ、
演劇文化のビームを
たえずえず送りつづけたい、などの“芸術カントクトーク”でした。 




『唐人相撲』


これは、なんて目に鮮やかな狂言舞台。ゴールド・グリーン・
ブルー・バーミリオン・・・。狂言というジャンルを一瞬忘れて、
夢みる。
ポストトークにあらわれたゲストの白井晃氏は一言、
 「前衛的ですね」




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 ★レビューつづく



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みてよかった・・・1月〰5月の舞台・映画などから③(『不信~彼女が嘘をつく理由』他)







3月



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『不信~彼女が嘘をつく理由』@東京芸術劇場
 


このダーク系の三谷幸喜作品では、
まぁ、ごくふつうの
二組の夫婦(段田一則×優香・ 栗原英雄×戸田恵子)の
一見ふわふわとした出会いが、
実は周到に組み立てられた、衝撃のラストへと展開する。


「小道具」の使い方、たのしい。
(分銅みたいにドンッと落とされるマグロのあたま、
よくある白いホーロー容器、よくある黒い紙袋とか・・・)


ところで、以下のようなドラマがあるとすると・・・



① あるひとつの、「共通了解」のうえに
"ふつうじゃないこと"を、あくまでも "ふつうじゃないこと"として
ちりばめてみせる物語


② ”ふつうじゃないこと”(プライベートな事情とか感覚とかも含む)を、
あえて、できるだけ"ふつう"に、
なんでもないように語るドラマ。



私は②も、けっこう好きなんです。
これって、じつは今、私たちが、
ちょっと元気がないときにみるための、
ひとつのファンタジーにもなってるんじゃないかしらーー?




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映画『彼らが本気で編むときは』


いつもの荻上直子作品らしく、のんびり空気のなかから
パンチがとび出るようでいて、
今回はそのパワーは少々よわかった。(生田斗真は、女装が似合う
というのは、
蜷川舞台『サド侯爵夫人』のときに、カクニン済み。
『サド』のとき、あれは、フランス人形そのものでした)




美術『花森安治の仕事』@世田谷美術館



                               
 ★レビューつづく


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みてよかった・・・1月〰5月の舞台・映画などから②(『炎アンサンディー』)

3月

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『炎アンサンディ』@シアタートラム  
  作 ワジディ・ムワワド
  翻訳 藤井慎太郎
  演出 上村聡史




このドラマのシーンのひとつひとつが、「一篇の詩」。
しずかに、あるいは、
胸掻き毟るように、人間について、
家族について、紡がれていきます。




ヒロインは、
自らの生死をこえた、ひとつの意思を
沈黙の内に守らざるを得なかった。
自分が置かれた環境(レバノン内線下から亡命)のなかで。




意思は、死後にのみ、本当の愛に変わる。
そのメッセージの強度に、
舞台も客席も、同時に、
ただもう窒息せんばかりの感覚になる。
(麻美れい×岡本健一×中嶋しゅう×栗田桃子×小柳友
中村彰男×那須佐代子 )
それでいて、
実は、すっきりと「ウェルメイド」な仕上がりになってます。
(映画化もされている)





ポストトークでは、
「詩は、慰め」というようなフレーズが耳にとびこんできて、
一瞬あたまのねじがカチャカチャ混乱。
この舞台の時間の流れのなかに
すっかり入っていた私は、
このトークで「詩」と呼ばれていたものを、
詩というより、
「ふつうの、こころからのせりふ」
と感じていたと気づきました。
でも、この芝居を離れてみれば、
「詩」は、いつも、「慰め」とは限らない、ある種の攻撃パワーも
もっている・・・とかひとりで(詩歌をつくるものとして)思っていたら、
とつぜん、
岡本健一が、野村萬斎のしゃべり方の真似なんかして、
そっくりで、なんか「トラムっぽい」感じでした〰。
 

  ★レビューつづく

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みてよかった・・・1月〰5月の舞台・映画などから①(『陥没』他) )

1月

★ 映画『ブルーに生まれついて』


最終日に、バタバタ駆け込みました。
ジャズ・ミュージシャン、チェット・ベイカーの
苦悩を熱演するイーサン・ホーク。
麻薬がらみの暗黒ボコボコ事件(顎骨折)のあと、
バスルームで、血まみれで、トランペットを吹くシーン、痛〰い。
ジャズ界における、黒人・白人アーティストの微妙な対立感も
かいまみえたような感じ。


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2月

★『陥没』@シアターコクーン


 
 やわらかく、(ほんのり不思議で)、おもしろかった。
ケラリーノ・サンドロヴィッチ昭和三部作のラスト。
たくさんの登場人物(幽霊含む)たちが
チェーホフ劇風にざわざわしてる。



笑いポイントが、たくさん。ただ、その全部に
必ず大笑いしなくても、好きなところで、
自由に笑えるのがいいです。
(1963年の東京オリンピック直前、開業したてのホテルに
集う面々はみな、どこかふわふわした空気に包まれてる。
ホテルの一室に侵入したらしいとされるけれど、
だれも見たことのない謎のホームレス氏のことさえ、
なんとなく「○○さん」と、旧知のひとのように名前で呼んで
しまったりして。
ホームレスのグループの会話。
一人が確信ありげに、「中丸と君塚にも伝えとかなくちゃ」
もう一人がまた確信ありげに、「そんなヤツはいないよ」
・・・とか、大筋には関係ない、これだけのせりふにも、
この“抜け感”。苗字の選択が、わけもなく、ツボ)



たとえば、
「やさしいことは、つよいこと」by宮城まり子
という言葉があるけど、
「やさしいことは、こわいこと」byケラ
という言葉もありそう。
でも、このドラマにはひとの感情を
ただゆさぶって、
そのまま放りだすような怖さはなかった。
 ホントに、言葉の銀河が、私たちをずっと
包みこんでるような。



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★『お勢登場』@シアタートラム 演出倉持裕


おなじみの江戸川乱歩作品をオムニバスにした、あやしの舞台。
テンポいい。そのぶん、
「乱歩ムード」はやや薄くみえたかもしれない。でも、一人何役かをこなす
演者がみんな生き生きしてみえました。
(黒木華×片桐はいり×水田航生×川口覚×粕谷吉洋×千葉雅子
×寺十吾×梶原善)



シアタートラムは、どうしてだかいつも、演じるひとびとの、
熱だけじゃなく、
彼らのお互いのつながりの明るさがじんわり、
はっきり伝わってくるんです。(他の小劇場とちがう)

                                    ★レビューつづく

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『花子について』、『フォー・レント』の多面体

2014年、2月の舞台を振り返ります。

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現代能楽集Ⅶ『花子について』
作・演出 倉持裕
@シアター・トラム(2/8)

3つの掌編ドラマを、たのしくみました。
(掌編といっても、
この「現代能楽集」の企画シリーズ自体はいつも、
日本の古典劇の骨格を、大胆に現代に映しとろうと
しています)
さて、今回はというと・・・まず一部の舞踏は、
能『葵上』の世界。女(六条の御息所)の舞に、
黒田育世・宮河愛一郎のでこぼこペアがとりくんでいました。性別を超えて、
“二人で一人” でみせる“鬼”。
お次の二部は、狂言『花子』から生まれたコメディーです。
夫・・・小林高鹿  妻・・・片桐はいり  風見・・・近藤公園
ということで、妻が夫の浮気に爆発。脚本家は、もともとの狂言のストーリーを
変形させないで、
設定・会話だけ現代風にふくらませているってわかる。ポイントは、
妻は夫が勤務する「大日本軽金属」の社長令嬢で、
溶接作業もバッチリこなす(?)ところでしょう。昭和風? なんだか、このごろは、
昭和/平成のセンスの境界線が、言わずもがなの時ですら
すぐ話題になったりするけど、“ひとが笑う”ってことには、
昭和も平成も本当はカンケイない~とも思うんですけど。それで、さいごの
三部のストレートプレイでは、三島由紀夫『近代能楽集』の
『班女』の、花子(西田尚美)が、今のネット上で「センスさん」と呼ばれてる。
去った恋人をまだまだ待ち続けている花子と、
彼女を我が家に囲いつづける実子(片桐はいり)・・・やっぱり、そう、
この“狂女” というものにも、昭和とか平成とか、小さな区切りはもちろん
カンケイない。そこが、いいと思う。




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ピーピング・トム『A Louer/フォー・レント』
@世田谷パブリックシアター(2/25)  
     


“奇妙な幻想のダンス” などと言われるものが、
ずっと好きだった。
ベルギーを中心に活動する「ピーピング・トム」は、
数年前からなんとなくみてみたいなと思っていた
グループです。
今回の『フォー・レント』は、
売りに出された古い屋敷の女主人と使用人と老人たちの
奇妙なドラマになっている。とても小さな鎖された世界だけど、
その中でいろいろな時間が錯綜して、
すごく多面体な舞台って思いました。
感情とアクロバットと諦観とイタズラと・・・それから
ヨーロッパの見世物小屋の匂いもします。(プロ・アマ問わず一般公募の
日本の人たちも
上手にゾンビみたいに歩いて溶け込んでいました。ムードたっぷり~)


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今考えると、
“懐かしいけど刺激的” という点では、『花子について』と
共通する感じもあったかもしれない。具体的に言うと、
二人の人物の名前があげられる。  『フォー・レント』の登場人物(歌手役)は、
なぜか、「今日オペラのオーディションで 
“ハイリ・カタギリ”に役を奪われた」なんて、泣くのです。
ハイリ・ワールドって、これもまた多面体的なのか。(世界の作品にも、もっと
出てほしい~☆)
それから、両舞台のポスト・トークに、野村萬斎氏が登場しました。
ピーピング・トムの
振付家フランク・シャルティエ本人は、作品にただよう“はじける老愁”からは
まだ遠い、ソフトな雰囲気。そんな彼に、萬斎氏は、
“狂言で言われる、老いの花(aged flower)とは・・・”と芸の境地について
ソフトに語っていた夜でした。


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2013年度下半期舞台思い出しピックアップ!②

“思い出しレビュー” 続行中です!
さて、秋には、こんな舞台あんな舞台・・・。


『ロスト・イン・ヨンカーズ』
作 ニール・サイモン
上演台本・演出 三谷幸喜
@パルコ劇場


私だけだろうか。
運転が上手すぎるひとの車に乗っていると、だんだん目が回ってきてしまう。
そんなふうに、舞台をみていてふいに
異次元感覚にとらわれることがあります。あ、舞台って、そもそも異次元か。


時は1942年、
ユダヤ系で、収容所体験があり、今はニューヨーク州ヨンカーズで、
小さな雑貨店を営む頑固おばあちゃんミセス・カーニッツ(草笛光子)の家に、
家族が集まってきて・・・すべての出来事は、
ローティーンの兄弟ジェイとアーティーの目をとおして、
なにげない言葉(三谷式)で語られています。
これって、遠いセピア色の、やさしいアメリカ? いえいえ、このドラマは、
たとえば、
“はじめはなにやら煽情的にみえる(じつはそれほどおもたくない)系”のドラマとは
全然ちがうテンポで進む。
ミセス・カーニッツと同居しているベラ(中谷美紀)のテンポは、
世界と少しズレています。(だから、「頭がよわい」なんて言われてる)
彼女の恋は迷走。日常にすっかり撒き散らかされた完璧な絶望のなかを
ひとびとが少しずつ、少しずつすすむ、そんなお話でもあるかな。
結局、私は、
そこはかとなく怖ろしいような、悲しいような、
それでいて、ちょっと晴々したような、へんな気分。
(芝居をみたら、こういう気分にならなきゃね☆っていう気分)


それで、この舞台の、 “少しずつ、少しずつすすむ時空”というのは、
あくまでもベラやその家族固有のもので、
今の私たちの生活にまるごと置換・拡散されたりするタイプのものでも
ないんでしょうが・・・。

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『萬斎解体新書その弐拾参 特別編「萬斎」 』
@世田谷パブリックシアター(10/ 26、27 )


神無月、最後の週末の、野村萬斎氏の「解体新書」!
いつもは一夜限りのトーク舞台が、今回はなんと3日連続になっている。
各日のテーマは、
金曜日・・・「舞」、土曜日・・・「映」、日曜日・・・「娯」
でした。私は土日に参加。ゲスト・・・犬童一心、いとうせいこう。
犬童氏とのトークは、萬斎主演映画『のぼうの城』などのお話に。
また、いとう氏の文系トークを聴くのは、個人的にひさしぶりでした。そして、
今でもはっきりおぼえているのは、3日目の萬斎氏の「ボレロ」のパフォーマンス。
〈瞑想〉から 〈跳躍〉へ・・・〈ボ・レ・ロ〉という言葉に含まれるすべての色素が、
私の胸の中で漂泊されては、もう一度、鮮やかにぬり替えられました。



いのうえシェイクスピア『鉈切り丸』
脚本 青木豪
演出 いのうえひでのり
@シアターオーブ(11/14)


2012年早春、放火(『金閣寺』)
2013年初春、血しぶきの銃殺(『祈りと怪物』)
そして、ついに・・・2013年秋、鳥葬(『鉈切り丸』)。
私がみる“森田剛ワールド”は、一体どこまでふくらんでゆくのでしょう。
えーと、これは、『リチャードⅢ世』を日本の源平合戦に置きかえたドラマで、
シェイクスピアの残酷と、平安~鎌倉の闇が
舞台上で存分に絡みあう、という趣向になっていました。
異形のダークヒーロー、源範頼(頼朝の弟)の登場シーンでは、
そのシルエットと第一声に、観客一同 “ゾクッ!” それからあとの、
舞台全体は、たとえば、
二ール・サイモン絶対最高!という人なら、どよ~~んとなるような
ある種の“陰惨ライン”にのっかった展開ともいえるんだけど、
その感覚は“生々しさ”とも、
“毒々しさ”ともまたちがうもの・・・。なんていうか、
これって、 “せっかち勝ち”(?) 登場人物はみな、一瞬一瞬をとりあえず早口で
決めてしまいたい、と思い込んでいるみたい。それが、不快。
シェイクスピアだけど、なんとなくフラメンコのリズムが聴こえそうで、
やっぱり聴こえない気もするような。                
それでも、 この舞台からこぼれる
特別な “痛みと憧れ”には、
逆に、“急がば回れ、ポコ・ア・ポコ~” って、ラストには少しばかりラテンな拍手を
送りました。とくに、俳優陣へ。            
硬くてやわらかい源頼朝(生瀬勝久)&
目が透明に輝いてる北条政子(若村麻由美)のコンビなんかも
おもしろかった。

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『トライブス』のグラデーション

Tribes
『トライブス』
作      ニーナ・レイン
翻訳台本 木内宏昌
演出    熊林弘高  
@新国立劇場小劇場(1/16)





2010年ロンドン、ロイヤルコート劇場初演の作品。
ひととひとがかかわり、
個性をもつということは、
透明でなくなること・・・舞台に痛みがあふれている。
“コミュニケーション”の枠から、突き抜けたり、
こぼれたりしてしまうような
“感覚”が、まっすぐすくい上げられている。



聴覚障害をもつビリー(田中圭)は、
家族の会話を読唇術で理解することで、静かな人生を送っていた。
イザベル(中嶋朋子)と出会うまでは。
イザベルの兄もビリーと同じ障害をもっている。さらに、彼女自身
じょじょに聴覚を失い、やがて全く聴こえなくなることが分かっているというのです。
彼女は、そんな運命をしなやかに受け入れているかのよう。
親しみやすく、どこか不思議なモード。
ビリーやその家族は、たぶん、
彼女の中に、ある一つの甘美な事実をみつけてしまうんだと思います。
人生におけるなんらかの決定的な重荷(身体的な障害に限らない)は、
人の魅力を開花させるーーという事実。



ビリーの家族も、おもしろい。
父(大谷亮介)は評論家、母(鷲尾真知子)は小説家志望。
兄(中泉英雄)は論文執筆中で、妹(中村美貴)はオペラ歌手として苦戦中。
・・・とまぁ、テッテイして、アタマデッカチ文化系の〈種族=トライブス〉です。
自閉的で、自己完結した関係性を思わせるモノトーンのセット。
その中では、議論あり、絶叫あり、母娘の奇妙なスキンシップあり。



この”少数民族的”一家と、
『奇跡の人』のヘレン・ケラーの物語が、客席の私の中で一瞬重なりました。
はじめは、ヘレンに対して冷ややかに接していた兄。でも、その心の内には
本当は深い悲しみがあった。

しかし、ビリーの兄ダニエルは、もっとセンセーショナル。
吃音の症状をもちながら生きづらさを抱える彼は、イザベルを誘惑。
(サリバン先生にちょっかいを出すヘレンの兄とはちがって、ウエットなのだ)
1幕で、イザベルのワンピースは白。2幕では、グレーへと変わる。
ダニエルにとって、実はビリーこそ唯一の精神的な
支えだった・・・慟哭に包まれた告白が、
イザベルの悲しみをいやおうなく覚醒させていきます。
一方、イザベルとの恋が社会化へのステップとなって、
どんどん強気になってくビリー。ずっと音のない暗い世界にいた時間が、
今は憎しみを含む激しいエネルギーとなって、とびだしてくる。
うずくまるダニエルとイザベル。



舞台中央のピアノが、家族の食卓にもなるという美術効果がクール。
セリフは、まるで、
人の声よりひと足先に鳴るピアノの音を、
一拍遅れで追いかけながら歌われるジャズソングにもきこえました。

あるいは、彼ら(私たち)を導くキーノートはいつも聴こえない。それでも、
今を生きていたい、という気持ちだけはマグマ状にうごいているのだな・・・。
(聴覚障害をとりあげた舞台、映画などで、よくみられる
バタバタ・ガチャガチャとさわがしいシーンって、それは
しずかな涙とセットになる)



このドラマは、”特別”な状況(聴覚障害)の中から
とても普遍的な人間の感情をとり出してみせるようなスタイル。
ドラマの核となる主役のビリーとイザベルは透明で、ある意味
様式(モード)的といえます。
(言ってみれば、”梅干の種”みたいな存在)
一方、主役以上に癖のあるビリーの家族は、雰囲気(ムード)たっぷり。
たのしい役どころでもある?(しゃべる、しゃべる、しゃべる・・・)
日本語で上演されたこのドラマでは、モードとムードが、演出上やや
ごちゃごちゃになっているみたい、個人的にはそんな感じがしました。
まぁ、海外“新鋭”翻訳劇には、日常に持ち帰ろうとすると、
急にかさばるアイテムもいっぱい入ってるから、気をつけないと~。




さいごにビリーは、“特別” という言葉の意味を超えたでしょうか。
ビリーが手話を覚えることを、家族は許さなかった。そんなことをしたらビリーは、
自分たちの言語とは別のもう一つの言語をもってしまう。それは
透明ではなくなること。そして、社会の中で、完全に“特別な存在”に
なってしまうこと。
(そういえば、以前私が手話を習っていたとき、手話が市民権を得るまでに
さまざまな困難があったと教えられました)

“特別”と“ふつう”の境界を、
作者は、“聴くという感覚 ”について語りながら、次第にあいまいにして
いくのです。
世界を区切る壁のむこうには、
ただ極彩色のグラデーションがひろがっているだけ。
私たちは、誰でも、その漠然としたひろがりの中の
どこか中間地点に頼りなくうかんでいるにすぎない
(意識・無意識にかかわらず)ーーそう、感じました。

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2013年度下半期舞台思い出しピックアップ!①


もう、3月。
今年も気になる舞台がつづいています。よし、お芝居ブログも、
またスタートしなきゃ。
そのまえに、昨年後半(ブログ、ストップ中)にみた舞台についても、
ちょこっとずつ”思い出しレビュー”しておこうと思います~。
 



まずは・・・酷暑の夏あたりから。


『ISAM~ 20世紀を生きた芸術家イサムノグチをめぐる3つの物語~ 』
作・演出 宮本亜門
@パルコ劇場(8/25)

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これは、どことなく、文部省推薦風であったかも。
(アモン白熱教室?作者は
ある意味マイペースな感じもするので、やっぱり文部省推薦じゃなかった☆)
舞台の初めと終わりに、飛行機のシートのセットが浮かび上がって、
彫刻家イサムノグチと一人の女性乗務員が静かに会話するシーンがある。
イサムは、戦時下に日米のハーフとして生まれ、
生涯にわたって東西文化をつなごうと奮闘したわけですが、
飛行機のシーン以外では、彼の、”ヒリヒリした孤独と創作への情熱” が、
われわれに語られます。



舞台上に、あの「ポーン」
という機内のアナウンス音が響くとき、一瞬睡魔もやってきた・・・。
いえ、それにしても、空中(機内)で、女性乗務員と語らうスマートさと
地上でさまざまな問題にぶつかる不器用さーーどちらがイサムの本質でしょう?
〈ISAM像〉の原景として、幼いころの彼が、アメリカ人の母(夫と別れたあと、
あえて厳しくわが子に接した)の愛情を求めた姿は、
とてもていねいに描かれています。



イサムを演じた窪塚洋介は、稽古中、
「きみのなかにある、フェミニストの要素をもうちょっと抑えて」みたいに
演出家から注意された、と語ってる。
ついつい相手役に合わせてしまうことなく、前に出るーーそんな、
舞台上の演技には、逆に、相手役のペースを壊さずに、      
目の前の扉をうんと大きく開けておく余裕みたいなものが
必要なのかしら、などとちょっと思ったりします。




英国ロイヤル・バレエ団『不思議の国のアリス 』
@東京文化会館(7/4)
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注目のマッド・ハッター(スティーヴン・マックレー)は、タップなども踏んで軽やか。
兎(エドワード・ワトソン)は、作者ルイス・キャロルと一人二役で、
重ためのジャンプが、素敵。

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そして、アリス(サラ・ラム)はというと、
美しいラベンダー色のチュチュの冒険少女になっていた。
終幕、赤タイツの“マカロン王子”のハートのジャック(アリスの恋人)と、
たのしそうに踊る・・・微笑ましい。
そういえば、確か、わたしが読んだある記事は、この舞台について、
こんなようなふうに紹介していた。
ーー「アリスという少女は、とかく無個性に映りがちだが、
2013年のバレエ舞台に生まれたアリスは、
今までになく生き生きとして、新しい」
わたしは、アリスを〈無個性〉と思ったことはないので、この評は意外でした。
えっ、〈生き生きしたアリス〉?それだけじゃ、ちょっとつまらない?
やっぱり、アリスって・・・決して〈かわいい〉というのじゃない、
今の無機質なタッチのサイバー少女ともまたちがう、
〈蒼白のアリス〉がいい、と思っています。



『かもめ』
作  アントン・チェーホフ
演出 ケラリーノ・サンドロヴィッチ
@シアターコクーン(9/16)
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「意地悪な戯曲だなって思いますね」
と、パンフで語っているのは、トレープレフ役の生田斗真。
そんな彼は、舞台上では、蒼白の横顔で、
悩み多すぎる、文学青年の独白を、客席へたっぷりと聴かせていたのだった。

チェーホフの芝居は、一般的に、よく、
「何も起きない=退屈な芝居」というふうに言われるでしょ。でも、
そんな理解の矢印は、以前も今も、ぜんぜん、わたしの的にあたらない。
チェーホフの舞台の上には、さまざまな登場人物の、
さまざまな ”感情” が、こんなにふくらんでいるではないか。



この舞台『かもめ』の、
“人間臭さ” と ”やわらかさ” は、
今までの『かもめ』の1.5倍・・・いえ、2倍以上。(硬質なところもあり)
アルカージナ(大竹しのぶ)の、プロレス。
ニーナ(蒼井優)の、奇声と涙。
トリゴーリン(野村萬斎)の、作家の身勝手と保身術。
遠近感を意識した、一幅の絵のようなセットの上に、
言葉が、
冷たくも熱くもない、常温の泉のように、こんこんと湧き出てくる。
結局、このドラマの中の ”意地悪DNA”って、本当は一体どこからきて、
どこへゆくものなのか・・・さあ、こたえたまえ、トレープレフ君?
(なんてことを、トリゴーリンは言ってないけど)



確かなのは、
このケラリーノ版『かもめ』を、わたしは、今までにみたどの『かもめ』よりも、
まっすぐに、すっかり集中してみることになった!ということ。


          (2013年度下半期舞台思い出しピックアップ②へつづく☆)


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『ドレッサー』の嵐と銀髪かつら

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『ドレッサー』
作 ロナルド・ハーウッド
翻訳 徐賀世子
演出 三谷幸喜
@世田谷パブリックシアター(7/25)







1942年、第二次大戦下の英国。
あるベテラン老俳優が、
今夜、身も心も不安定な状態で病院から劇場へ直行し、
『リア王』を演じる。ひとたびスポットライトの下に立てば、
名俳優の威厳たっぷりに、彼が見事に演じきるその舞台の、
“舞台裏”のほうをみせるのが、このドラマ『ドレッサー』。
衣装を身に付けた俳優が、楽屋の化粧鏡に映す顔って、
本当は一体誰なのだろう・・・?

 

 座長・・・橋爪功
 ノーマン・・・大泉洋

このキャスティング、すごく感じがでていました。
今異常な精神状態になっている座長は、ダダッ子と化して、
舞台に立つ気なんか失っているみたい。
そんな座長を、なんとかかんとか上手になだめて、
舞台に送り出すのが、“ドレッサー=付人・衣装係 ”の
ノーマンなのです。まあ、座長のお世話役です。
実は “ひと癖ある” 性格のこの座長に、
ノーマンは長年付き添ってきたのだと、すぐわかります。
ちょっとピリピリしてるくらい細かいケアと、うっすら毒舌まじりの
応対で、座長の気をそらさない。
くすっとおかしい、かけあいです。 
ノーマンと座長、この二人は、ある意味ではお互いを
よくわかってるんだけど、
あくまでも“演劇という仕事” のラインだけで、これまでつながってきた・・・。



この『ドレッサー』には、一応、
わがままな老俳優・・・抑圧者
ドレッサー・・・被抑圧者
という関係がみえるみたい。(『リア王』でいうと、王と道化の関係)
二人の俳優のやりとりは、テキストに忠実な演出のため、すっきりした感じ。
戯曲のテーマが立ち上がってみえてきました。(もう少し“刺さる感”が
ほしいという意見もあるかも)
それで、結局、
この座長は、いつも一番身近にいるノーマンの気持ちを、
きちんと現実的に汲んであげることのないまま、
しずかに、あっけないように息をひきとってしまいます。(衣装と日常着は、
ちがうように、二人のタイミングもちがってた?)
“お世話係”に、人生のすべてをかけてきたノーマンの、
“なんとも言えないやるせなさ” が、最高潮に達したところで、
舞台はおわる。
まあ、この二人の像は、鏡の向こうの世界では、時々入れ替わったり、
交ざりあったりしていたかもしれない・・・?つまり、私的には、なんだか、
舞台上の二人は、二人とも、宇宙のどこかの無秩序の時空に向かって、
本当はずっと叫んでいる、そんな感じもしたのです。
『ドレッサー』は、
俳優が俳優を演じる系の”メタシアター”の、現代の鉄板的作品かなと思う。
そこに、私たちの、時を超えてくり返される”思考のiPS細胞”
みたいなものもみえるようで、おもしろいと思っています。



具体的に、今回の三谷幸喜演出バージョンで、印象に残っているのは、
嵐の効果音&かつら。
『リア王』荒野のシーン上演中の、舞台袖の興奮。
当時の、アナログな道具をいっぱい使って、雨や風の音を
劇団員総出で懸命に手作りする。このときばかりは、座長に反目するメンバーも、
力を合わせないわけにはいきません。シチュエーション・コメディーの
ドタバタに、懐かしさが加わると、120%キュン。
そして、リア王のかつらは、よくできている。
くたくたの、ラクダのシャツの橋爪座長が、頭蓋にこのかつらを
フィットさせるやいなや、パーッと王様のオーラが立ちのぼる。
(きれいな白髪の、自然な毛流。王冠より大事?)
ひとの輝きは、きっと、矜持と徒労のセット。



座長の傍にいる女性は、
 座長夫人の看板女優・・・秋山奈津子
 舞台監督・・・銀粉蝶

です。それぞれに、女性として、そして、演劇を愛するものとして、
天然パーマみたいに複雑に蛇行する意識の流れを、
自分なりに美しく、スタイリングしながら生きようとしてるのだなと感じられました。
それから、
 年老いた劇団員(『リア王』の道化役 )・・・浅野和之
 共産系の劇団員・・・梶原善
 若い劇団員・・・平岩紙

のなかには、時代の暑さと道化役の冷たさみたいなものが交ざり合っています。
チャーミンングな配役ですね。


Yearplate


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