5月6月舞台 

ちょっと、ごぶさたしてました~。
超特急思い出しレビュー(まずは、5月・6月いろいろア・ラ・カルト)です!


★声の不思議をみる



   ●『オディロン・ルドン~夢の起源展』
   @損保ジャパン
ン東郷青児美術館(6/30 )


なんとなく時代の潮流からはズレていた・・・そんなルドンは、ほんとに不思議。
モノクロと色彩、それぞれの作品の中から、
呼びかけてくるひとすじの声・・・歌っているのか、呻いているのか・・・。
それは地球にドラマ(演劇)がはじまるまえから、
世界をずっとみつづけているひとの声。
懐かしいけものの、息。

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   ●MANZSAI解体新書その弐拾弐
   @世田谷パブリックシアター(5/8)
   「息」~言霊・音霊のリプレゼンテーション~
    ゲスト  八代亜紀   やくみつる

今年2回目の、萬斎氏の“解体新書” 。
考えてみると、これも不思議な夜だった・・・。
「息・発声」をめぐって、
“野村萬斎vs八代亜紀” の、トークバトルがひたすらつづく。
2人の接点をみつけるような、そうでもないような、
やくみつる氏のあいの手もあるのでした。


今思い出すのは、
“切音不切息(せっとんふせっそく)”“一調二機三声(いっちょうにきさんせい)”
という言葉。 いえ、なに、メモ魔のマイ手帳のこの夜のページをめくってみたら、
そんな文字が記されておりました。
“一調二機三声”とは、狂言の謡のメソッドをあらわすもの。
息の“溜め“をつくってから、ゆっくりとしたタイミングで発声する。
一方、八代演歌は、“切音不切息”。これは、本来は、
僧侶の読経の心構えを説く言葉。
音は切れても、魂はずっとつながっているようにうたいたいーー。


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★ハスキーのいろいろ



八代氏は、最近ジャズアルバムを発表。
なんでも、少女のころに、ジュリー・ロンドンに心をつかまれたのだそう。


ところで、私、こどものころ、自分の声とはぜんぜんちがう
ハスキーヴォイスになりたいと思っていた。
(一番最近では、
コリーヌ・ベイリー・レイの声にムググッ)
なんていうか、とにかく、ふところの深さ を感じさせつつ、
たしかに「世界の涯」と交信している・・・そんな声がいいのである。


  ●『レミング~世界の涯までつれてって~』
    作 寺山修司
    演出 松本雄吉
    @パルコ劇場(5/25)


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今年(寺山没後30年)はやや“寺山オブセッション”みたいな感じになって、
パルコ劇場へ。寺山世界は、私にとって、
その幻想にインパクトを受けたり、          
あるいは、ウエットさをもてあましてしまうこともあったりする、
不思議ワールドです。


この『レミング』のなかにあった、
小さな木の打楽器っぽい“ポコポコしたリズム感"は、好き。
「おや、“維新派”みたい?!」なんてすぐ思って、しばらく舞台を
たのしむに及んで、あ、そうそう、これって、松本雄吉演出
だったんだわ・・・と気づく、という、
トンチキな時間差アタマに私はなっていたらしい。
維新派っぽい、あの、光を微分するような、
ちょっと乾いた、懐かしい時間感覚が、寺山舞台に調和。
八嶋智人×片桐仁のかけあいは上手。
常盤貴子は、夢の女のイメージ。一瞬ディズニー映画『101』の、
凶暴でおかしいグレン・クロースみたいになったり、
はたまた制服少年になったり。
舞台って、匿名の観客たちの夢の中に、
ポコポコポコ・・・と“言葉”を落としてくる装置です。
(この場合のポコポコした言葉って、
ひとびとの日常を、きわどいラインで異化しながら、
つねに身体といっしょにある日本語ということ)



★叫ぶってどんなこと?



そういえば、以前、私の周囲には、
「翻訳劇って不自然で、どうも・・・」と言うひとが多くて、
「えー、そこがいいのよ、翻訳劇大好き」と私はしょっちゅう言い返して
いたのです。
日本語たちに、記憶の内側をポコポコされるのもいいんだけれど、
テキストの激流に思いきり全身をまかせるのも、素敵なのだ。

   
    
       
        ●『ヴィーナス・イン・ファー』
    作 デヴィッド・アイヴス
    日本版演出 ロス・エヴァンス
    @シアターコクーン(6/18)

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出ました、久々の、“ザ・翻訳調舞台”。
両掌をまえに出し、肩をすくめて、「ワ~オ!」などを連発する
稲垣吾郎と中越典子。
これは、19世紀の、マゾッホ作『毛皮を着たヴィーナス』を下敷きにした、
現代の濃密な二人芝居。
マゾヒズムのはじまりを考えながら、愛の本質にまで迫るのです。
ニュートラルに語る、稲垣。表情豊かな、中越。
それで、なんだか、“稲垣吾郎くん”が出演するどの舞台をみても、
はじめは同じ、 “稲垣吾郎くん” がいるようにみえる。けれど、
すぐに、どんどん登場人物の固有の物語にひきこまれてゆく。
不思議な感じ。
この舞台のラストは、“ストーリーテラー吾郎”の、大きな叫び。
叫びって、翻訳劇でもそうでなくても、
主人公が、みずから強い愛の束縛を受け、
息を溜めに溜めたあと、ついに観念の鎖を断ち切った瞬間に発する、
声なのですネ。
(あ、萬斎さん的“一調二機三声”・・・これもまた、
抽象的な叫びなのかな?ムム)


   ●『WE AND I』
   監督ミシェル・ゴンドリー 
   @イメージフォーラム



ゴンドリーの『恋愛睡眠のすすめ』が好きなので、それ以来
新作のたびにチェックしている。
これは、アメリカ・ブルックリンの高校生たちの、バス下校中の
会話の記録である。
全編、1台のバスの中だけで起こるドラマになってる(かのような)
構成で、きゅうくつ感いっぱい。
男子グループを中心に、最悪マナーでイジメを拡散する彼ら。
その人間関係の中には、     
マイノリティー、幼なじみ、ゲイ、孤独、アート、未来の夢・・・そんな
タームが織り込まれていて・・・。
叫びにも、語りにもならない 〈ぼくら〉の声をきかせたかったのかな。
以前のようなオフビートの要素は抑えられていて、ブー。
『WE AND I』の、〈WE〉 も 〈I〉 も両方、
〈私〉 の中にいる、そう思うと、
きゅうくつさのあとに、やさしさがかすかに残るような、
ゴンドリー映画と思いました。

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『第九地区』、『9〈ナイン〉~9番目の奇妙な人形~』



『第九地区』
は、ドキュメンタリータッチの今っぽいSF映画。
感染系、マシン系、カニバリズム系・・・あらゆるタイプの
“きもちわるいヴィジョン”、どっさり。

南ア出身の、ニ―ル・ブロムカンプ監督。
現代のヨハネスブルグに、難民としてエイリアンを受け入れている特別地区がある、
という設定をつくってる。
彼らは、宇宙船が空中にストップしてしまって、
宇宙に還れなくなっているエイリアンたちなのだ。

私たちが今、多様なひとびとと共に、
社会の中で生きていることも、こんなにきもちわるいことなのか・・・と
映画館を出るときは、げんなりキブン。でも、この映画うまくできてる。

だいたい私、エイリアンものをみるときは(いや、ふだんから?)、
いろんな意味で“エイリアン目線”。
この映画の主人公の男は、エイリアンからみても、
実はちょっと八方美人的調子いい性格かも。
妻のハートをキュンとさせるのも忘れない。
でも、エイリアンに対しても、曲がったことをするのをよしとしない、
潔いところがあって
まあ、いいのではないでしょうか。
主人公がつながるのは、
エイリアンのなかでもはじめから人間の話が少しわかりそうなもの(エイリアン親子)
っていうところは、
数多くの“異文化交流もの”の一つのパターンどおり。
(これ、製作が『ロード・オブ・ザ・リング』のピーター・ジャクソンで、
一応王道のストーリ-ラインがある)

ところで、現実が宇宙空間とつながっているって思うと、
魂のエネルギーバランスが、大きく変わると思う。
今、気にしていることを気にしなくなる。気にしてないことを気にするようになる。
おセンチなものとか、ベタベタしたものとかは、宇宙時間の中でそぎおとされる。
たぶん、魂のエコみたいになる。エネルギー問題への究極の行動。


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ティム・バートンのお墨付き映画『9〈ナイン〉~9番目の奇妙な人形~』
(シェーン・アッカー監督)は、
映像からくる感覚刺激が、ストーリーを超えているタイプのアニメーション。
主役の、麻でつくられた人形の”ダークかわいい”デザインに誘われて、
恵比寿ガーデンシネマに駆け込みました。

麻って、ごわごわしてるけど、やわらかさもある。
自然の厳しさと優しさが伝わる。で、それはいいんだけど、
廃墟を舞台にして、「0」から「9」までの人形たちが力を合わせて、
マシンのモンスターと闘うの。そして、最後には
自由を勝ち取る。紅一点の「7」(声・ジェニファー・コネリー)は、
たのもしい一匹狼的。
女子の役割なんかに縛られない。そこが、逆にフェミニンな存在。

これ、よい子の映画とも、やんちゃな大人の映画ともいえない。
概念的なんだけどやわらかい感性が、わかりやすいストーリーとは別にある。
私は、エンディングに、ひかれました。このとき、スクリーンいっぱいに、
監督自身の、失われたものや死者への、“鎮魂の想い”が
しずかに充満しているみたいな、不思議なあたたかさがあったので。




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NY2 (『ニューヨーク、アイラブユー』『脳内ニューヨーク』)

この時期、わたしは、花粉モード×風邪モード。
あなたは・・・?
久しぶりに、“思い出しレビュー☆シネマヴァージョン”です。

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『ニューヨーク、アイラブユー』@ル・シネマ

11人の監督による、11の小さなニューヨーク物語。
オムニバス風群像劇です。                            
みじかいけれど、
こころの奥のほうに届くストーリーたちが、集まってるのっていいなあ。
小粋なのサ。

 (わたしオムニバス映画大好き。何度も言ってるけど~。
  この映画は、別々の10のストーリーを、さいごの11番目のストーリーが
  つなぎ合わせているところが、ポイントということになってる。らしいんだけど、
  わたしは、バラバラのお話がバラバラのままにある構成も、
  それはそれで味わいあって、
  好きなのです。はじめからストーリーの強度だけにはこだわらないし。  
  それに、まあ、このタイトルはストレートすぎる?みるまえは
  そんなに期待はしていなかった。ところが・・・)


第1話トライベッカ(チアン・ウエン監督)の、“ハート泥棒”の巻。
レイチェル・ビンソンは、ブロンドとブルネットの
両方になって、ちょっとむかしのフランス女優みたいな感じでもある・・・。
『パリ、ジュテーム』(これも、オムニバス)なんか、思いだしたりして。
『パリ、ジュテーム』では、変化するパリのアクティヴなイメージも
たくさん伝えられていた。けれど、
この『ニューヨーク、アイラヴユー』には、
もっと、内省的ともいえるような
不思議な感覚もあって、おもしろいなと思いました。


第3話ハーレム/アッパーウエストサイド(岩井俊二監督)で、
ある映画音楽作曲家のケータイにかかってくる、見知らぬ監督アシスタントからの
指示は・・・ドストエフスキーの長編を読破すること。
ギブアップしたとたんに、
恋がはじまる?
どこか、ひきこもり的な、
それでいて、一つの出会いを深く夢みてるような小宇宙。
全作品のなかで、
あえてブッキッシュでいってて、一番あっさりしてるかも。
さいごにちょこっと現われるクリスティナ・リッチのくりくりおめめの海!
監督は彼女に、カフェで手づくりアニメの絵コンテをみせて、
出演okになったんだって~。

第7話アッパー・イーストサイド(シェカール・カプール監督)は、
アンソニー・ミンゲラの脚本。(この映画は、亡きミンゲラに捧げられている)
あるホテルにて。
パリからきた往年の歌姫と
腰に障害のある案内係の青年が、ひっそりとくりひろげる時間。あやしげ~。
この世とあの世をつなぐように開け放された窓。
その向こうに
消えてしまったのは・・・ほんとは一体だれだったの?
これは、もう哀しく、幻想的。
NYっぽい喧騒を離れて、ヨーロッパテイストで時間を逆回しにしてる・・・
でも、これもまた、ニューヨークってとこが印象的。

あと、ずっと通りを撮影しつづけてるビデオアーティストのエミリー・オハナ、
へんなおじさん(?)と化してるイーサン・ホ-クとかが、各話を”つないで”登場。
 (こういう”つなぎ”の映像がちょっとわざとらしくもあって、全編を浅くみせて
  しまってるかな?)

どのお話にも、世界のつよいねじれとゆらぎがあって、なのに、
みんなけっこうまっすぐに愛を求めていて、絶望的に
つながってる・・・そんなドラマでした。
“Every Moment ...Love Begins.”っていうコピーにあるみたいな、
人生のきらきらした瞬間。
そんな瞬間には、
必ずドロっとしたものもついてくる。
ビスケットで眼帯して歩いてたら、ガムふんじゃったみたいよ~シナリオニューヨーク。


あっ、NY映画といえばね・・・、
去年、年末にかけこみでみた

『脳内ニューヨーク』@シネマライズ

も、まだ記憶にあたらしいところ。
“天才脚本家”チャーリー・カウフマン(『マルコヴィッチの穴』、
『エターナルサンシャイン』の・・・) が、自作を監督しました。

お話は、なんてキテレツ。
人気劇作家ケイデンは、ニューヨークの巨大倉庫で
「もうひとつのニューヨーク」をつくって、上演しようとする、その稽古は17年も
つづいている。
倉庫の中で、彼は
さまざまな人や出来事に遭遇する。自分を演じる俳優、その俳優の死、
そして、自分を演じるあらたな女優の出現、はたまた、別人格を演じる自分・・・など。
彼の芝居と人生とは、互いに
浸食しあっていて・・・監督カウフマンは、一つのモードをどんどん転換させて、
どこへゆこうとしていたの?

ひとのあたま(こころ)の内側へ、内側へ。
どこまでもクイこんでゆく、フラクタルの
カウフマン映画!
とっぴな妄想を、
つぎつぎにつなげてゆく、執念の(?)ドラマライティングに、感心!です。
(まさに、“脳内オムニバス”~)

主人公の男(フィリップ・シーモア・ホフマン)の
ピリピリしたむさくるしさは、“NYラブストーリー的なおしゃれっぽさ”とは
一見無縁。
わたしたちは彼のどこに共感したらいいの?
彼のへんてこな行動にじゃない。
彼の“孤独”に。

主人公はもちろん、みているほうも、
ちょっと油断すると、はりつめた時間にしんけいすじゃく。 
でも、
さいごは、ちゃんと、泣ける映画なのです、これ。(これもやっぱりラブストーリー)

つまり、
今日の神経衰弱を、
明日のやさしさ・こころのゆとりに変えようよ・・・ってことなのよね。
(って、わたし勝手に思っております・・・カウフマンさん)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・Yarigai2

p.s.

軽重(かるおも)映画二つの、
モナミレビューのb.g.m.は、
“Paris Nights/New York Mornings”
コリーヌ・ベイリー・レイ
でした~。♪♪

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ささっと雑多な思い出しレビュー

『パリ 恋人たちの二日間』(映画)

これは、パリっ子女優ジュリー・デルピー脚本・監督の小粋映画。

フランス人の彼女が
アメリカ人の彼をつれて、久しぶりにパリの実家に帰る。
この二人に危機がくる。
二人をとりまく人々の会話が絶妙。
みんな、いかにもパリっ子らしく、よそ者に意地悪で、すっとんきょうで。

二人は二人で、とことんけんかする。話す。うん、いいなあ。
二人とも、弱さも、プライドもそれなりに抱えてる。(30代半ば)

私、むかしから、
書を捨てよ、街に出よ
っていうのを、なにか物足りなく思ってた。08oniwa2
書を捨てよ、
でも、恋人たちはたくさん会話せよ、
それから、街に出よ
なんじゃないかと思って。

エンデイングで仲直りした二人は、
街のカフェの前の通りで、
くるくる踊る、いつまでも・・・好き。    

   ・・・・・・・・・・・・・・・・・

ウイーン・フォルクスオーパー
『マルタ』(オペレッタ)
作 フリードリヒ・フォン・フロトー
指揮アンドレアス・シューラー
@ 東京文化会館

ところで、
"恋人"という言葉から
"い"をとると
"小人"になるのだ・・・。
"恋人"って、
恋の力にコントロールされてる人っていう感じもする。
"小人"は、もっと自由。でも、もっと、はかない。

18世紀イギリスの貴族のレディ・ハリエットと侍女ナンシー。
二人は "恋人候補"ならぬ
"メイド候補"となって街に出て、
「メイド市」なるものに潜入する。
(宮廷の生活は退屈すぎて、死にそうだから)

ふーん、"メイド市"かぁ。
"メイド市"って、ここでは一種の"思いやり市"みたい。
"思いやり"が"恋"に変わりはじめるまでは。

やがて、
熱心に言いよってくる青年たちの恋心を知る彼女たち。
自分たちの心も揺れて、
どんどん小さく、はかなくなってゆくかのよう。
(♪♪♪メルバ・ラモスのつよく叙情的なソプラノ♪♪♪)
階級の枠をこえて、2組のカップル成立――。
つまり、人は恋をすると、
先ず"小人"になる。08oniwa
それから、
ある瞬間、突然"恋人"になるーー。catface

   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

『アイム・ノット・ゼア』(映画)

女子高時代の、憧れの
ボーイッシュなY子先輩。
折り曲げた細い指を
鼻のあたりにもってゆき、
憂いたっぷりに、ちょっとうつむくのが、決めポーズ。

この映画で、
歌手ボブ・ディランに扮する
女優ケイト・ブランシェットが
まさに、それ!
そばかすっぽい透明肌、
細身のパンツ、ほ~っ。

ボブ・ディランを
6人の俳優(女優)が演じました。
みんながボブの真似をするのではなく、
たとえば、ビリー・ザ・キッドとか
黒人の少年吟遊詩人とか、
いろんな人物にボブのイメージがかさねられている。
監督トッド・ヘインズは、
一人の伝説的ミュージシャンを、"多面体"として08oniwa6
とらえている、ってことですネ、ハイ。

♪♪♪6人のボブは、
大人だけに見える妖精だゼ♪♪♪
・ ・・的な"歌"、"夢"に、酔いました。。。 
(ベン・ウィショーheartの苦味ばしった語りも、ぐー)

   ・・・・・・・・・・・・・・・・

『靖国』(映画)

歴史の中で、癒されない魂を代弁するために、
"言葉"はどれだけついやされているのだろう。
今の人間の、さまざまな哀しみの原型をみる思いがしました。

(監督李纓)

   ・・・・・・・・・・・・・・・・
08oniwa3 『ジェーン・オースチンの読書会』(映画)
 

カレン・ジョイ・ファウラーのたのしい原作と、
本家オースチンの作品(先ずは『エマ』から)を、
今、同時に再読中。

(監督・脚色ロビン・スウイコード )

   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

『 薬師寺宝物展』(展示)@国立博物館

日照りの中、日傘を差して30分並んでから、建物に入って、
おおきな日光・月光菩薩のうしろに回って、うんと見上げた。
(きれいな背骨・あご・ほほラインは、わたしたちのめまいでできてるのheart?)

                            0881         

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『非現実の王国で ヘンリー・ダーガーの謎』

Henry
ヘンリー・ダーガ-は、
1892年生まれ。故郷シカゴのアパートで40年間、
独自の空想世界を孤独に描きつづけました。
この映画は、ダーガ-の作品紹介と
生前の彼を知るわずかな人へのインタービューとの
サンドイッチ構成になっています。

ダーガ-の作品『非現実の王国で』を、
私がはじめてみたのは、ずいぶん前のこと。
(@世田谷美術館『パラレル・ヴィジョン』)
かわいらしい小さな女の子たちの美しい絵巻物語・・・
と思いきや、
よくみると、描かれている少女たちは、武器を掲げて流血している。
彼女たちは「ヴィヴィアンガールズ。子供を奴隷とする大人たちと闘う
少女戦士たち(ペニスあり)なのです。ひどく残酷。それでいて幻想的な、
夢のような世界。好き嫌いを超えて、このイメージは忘れられません。
作家の心は、いったいどうなってるの?この映画をみて、
「ふ~ん」と思うことがありました。
                             

・彼は、とても幼い頃、母を亡くし、妹を里子に出されている。
 そして、自分は8歳くらいまでは他の誰よりも
 頭脳明晰な少年だったと思っている。(後に、知的障害の誤診を受ける)

・そんな彼は、生涯にわたって、子供時代の自分を、とても美しい、
 よいものと評価していたのかな。少女や子供一般が変質的に
 好きというわけではなかったらしい。

・少女たちの絵の原型は、オリジナルじゃなくて、広告写真などを
 コピーしたもの。そのコラージュの手法は、まるで"ポップアート"。
 (アートの潮流になんか触れる機会のない生活を送っていたのに~)

・カトリック信仰に支えられていた彼は、いつも神と対話し、
 ときには神と闘っていた。信仰が、いつのまにか"劇作家気質"を
 育てていたのか?人間とはほとんど交流することはなかった。
 (大家さんちの犬は好きだった)Henry2

と、まー、こんなようなことがわかりました。といっても、
こういう事実から彼の作品を読み解こうなんて
思わないんです~。
私がダーガ-にひかれるのは、彼が、
受け手の"読み解き"を
前提としていないから。
私たちは、先ず、彼の世界にダイヴする・・・その感じが好きなんです。

ジェシカ・ユー監督は、この映画で、
『非現実の王国で』をアニメーション化している。
かの"孤高"のアートを、みんながリアルに"体験"できるように
したかったみたい。(アニメ化したからといって、リアルになるかどうかは
疑問だけど)現に、ダーガ-の抱えていた心理的トラウマは、
今の日本人にとっても、それほど遠いものじゃないのかもしれない。
ダーガー作品は、私たち一人一人を大きく包み込む
テーマパークにもなるのかしら?Henry3

私的には・・・
ダーガ-のようなアウトサイダー系のアートって、
"孤高のもの"というよりは、
"情熱の個人的な方向性の表現"みたいなもの
という気がします。
なので、
日頃、ちょっとした違和感を感じる人(咳)に出会ったら、なるべく、
「あっ、あの人はアウトサイダーアートの人!」
ということにしてみようと思っています。
マイナスの要素を輝きに変えるのサ。(まだまだ、修行中・・・gawk

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2月の映画

『ベティ・ペイジ』

50年代、アメリカ。
ボンデージ姿でセンセーションを巻き起こしたBettiepage
ピンナップガールのお話。
私は、これ、ストーリーより、当時のファッションが
かなりたのしめるときいていたんだけど、そうでもなかった。

グレッチェン・モルは、
前髪重めの黒髪の、
懐かしい、かわいいピンナップガールをよく演じていました。
さいごに、ピンナップガールをやめたべティは
教会へ。ベテイにとって、宗教は決して
抑圧的なものにならなかった。
ベージュのカーディガンの胸ボタンもぴっちりとめて、
祈りの世界に入ってく。

結局、過激なセックス・シンボル、
ベティ・ペイジの実体は、
田舎のハイスクールの
とびきり美人の、永遠の優等生のままだった・・・
というだけじゃ、よくあるタイプの"おとぎ話"になっちゃう?
ちがうの。
ベティの近くには、
"へんなひと"がいた。
ベティをみこんで、ヘンタイ写真を撮影、掲載していた雑誌社の女。
古くなったベティのネガ(フィルム)を捨てずに、
いいなと思うところをカットしては、こっそりポケットにしまっちゃう。
彼女はべティにどれだけ思い入れがあったの・・・?謎。
この女をリリ・テイラーが、演じてる。
(リリ・テイラーって、ほんと、いつも、へんキュート。へんなのに、
 泣かせるところがあるから、すごいと思う。実は、
 『アイ・ショット・アンディ・ウオーホール』以来のファン。 )

というわけで、
"へん"を組み込みつつ、すっきりした構成がよかった。
(監督メアリー・ハロン)

『≒草間彌生 わたし大好き』

Kusama 先日のミニイベントのトークゲストは、
草間さん。
さすがに混んでいて、
私たちは、
スペイン坂のほうまで、列をつくって
並んで入場することに。

ゆっくりと
舞台に現れた草間さんに、
「かわいい!」の声援もとんでいました。
すこしのおしゃべりと、
詩の朗読。
ことばがふしぎなくらいすんなりと耳をとおって、
胸におりてきました。
創作の人生を、強く走りつづけてきたことば!私は、
この詩(朗読)と絵とが
一つになってる
草間ワールドが大好き。

映画は、草間作品"愛はとこしえ"の製作風景、
作家のバックグラウンド、
いくつかの授賞式の模様とかをふつうに記録したもの。あっさりした、よい味わいでした。
(監督 松本貴子)

終映後、シネマライズの出口にいたのは、
若い二人のスタッフ。
ほほえみ担当女子が先ずほほえんでから、
声担当の男子が
「あっりがとうございましたぁぁ~~」。
ううっ、ク・ナウカ方式?

※ク・ナウカ・・・一つの役を
   声とからだに分けて
    二人で演じるメソッドをつくっている前衛劇団よ

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映画『ペルセポリス』の好きなところ・・・

気づいたら、
渋谷シネマライズづいていた、このごろ。
まず、 『ペルセポリス』 。
70~90年代の、
革命と戦乱のイランを背景に綴られた、マルジャン・サトラピの自伝的物語。
サトラピ自作のグラフィック・ノベルを彼女自身が映画化している。Persepolis_2
モノクロのコミカルなタッチのアニメーションで、
絵のライン、揺れる空気感が、おしゃれ。

文化の違いを自分なりにのりこえて 成長していく少女
祖母・母から受けつがれる思い
 (「公明正大であれ」の教え)

この2つのポイントがあるので、
世界中のひとが、共感できそうな作品。だけど、たとえば、
ル・モンド紙の
「どんなひとの心にも届く感動作!」
っていう評は、どうかな?
私は、感動はしなかったかも・・・でも、
とってもよい、とっても好きと思った。監督の声が、
個人的に語りかけてくるような気がして。

マルジ(声キアラ・マストロヤンニ)は、
おしゃれで、ロック好きな、明るい女の子。
ただ、革命が、彼女の周囲を暗くする。
10代でのウイーン留学、失恋、帰国、そして、結婚、離婚・・・。
伝統文化の制約(特に女性への束縛)に悩みつつも、
まだ若くしていろんなことを経験した彼女は、
結局フランスで再出発することに。

ラストシーン、フランスは、そぼふる雨。
一人タクシーをひろってゆくマルジのせなかが遠くなってく。
彼女はまだまだ異邦人・・・。
(たとえ、フランス社会のなかで、イスラム文化は、
以前とくらべれば、"まったく異質"とはいえない、
社会の構成要素の一つになってきてるとしても・・・。
cf.『パリ・ジュテ-ム』のなかの一作とか)

この作品では、とりあえず、問題は宙ぶらりんのまま、
さいごまで解決はしない。釈然としない人もいるかもしれないけど、
このほろ苦さが私はいいと思う。
やっぱり、この作品は、感動一直線ものじゃない。
アニメのわかりやすさはあっても、あくまでも作者のモノローグだから。
(現実の深刻なイラン国内外情勢を考えれば、
スクリーンのたのしさの底に流れる優しい祈りを、しずかに受けとめたい)

マルジは、こどものころ、
祖母(声ダニエル・ダリュー)と日本の「ゴジラ」の映画をみたことがあって、
「日本人は、
切腹するか、怪獣をつくるだけだ」
とか、祖母が言う。
ふーん、そうか。
文化とかジェンダーのちがいをめぐるユーモアが、
たとえば、ドイツのピナ・バウシュなんかよりも、ドライなのかな。
(バウシュのタンツ・テアターの舞台の皮膚感覚は、
  もっと感情的で、ピンポイントな感じ)

『ペルセポリス』の、自嘲というのでもない、
やわらかいユーモアが好き

(マルジの母の声は、カトリーヌ・ドヌーヴ。親子共演)

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はるの映画思い出しレビュー②

『不都合な真実』
監督 デイビス・グッケンハイム

スヤスヤ~、ンゴォォォ~のサウンドが、
ときどき日比谷スバル座の静寂をやぶります。
地球温暖化をめぐる調査・統計にもとづいた数値を、
アメリカ元副大統領ゴア氏が紹介していきます。

もちろん、ここでは、
私たちがどのような危機に直面しているかー
なぜ、ゴア氏はこういう対話の旅を選んだのかー
そんな内容が重要でしょう。
でも、このフィルムの、いかにもアメリカっぽい、選挙キャンペーン風の感じがおもしろくもあり、
鼻にもつくのです。
でも、タイトルがよければOK?

こういうドキュメンタリー的作品は、
“世界のベースがみえるおもしろさ”があって、すき。
なんだけど、私、
いつもリアル志向というわけでもなくて・・・.


『パリ、ジュテ-ム』★

“リアリティーの、その一歩先がみえるおもしろさ“
に、拍手!

全18話の、オムニバス。
いろんな人と人との
ほんのちょっとした、
なんでもないような、真剣なような、やりとり。
一話一話の短さに、かえってドキドキさせられます。  

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パリッ子スターとハリウッドスターが入り乱れて、
いかにもパリらしいエスプリ系の会話も、英語で。
そして、
アラブ系・アフリカ系・アジア系の
エトランゼ住人たちの会話は、今っぽいフランス語で。
さいごに、
はじめてパリにやってきた
アメリカ人独身中年女性の、
まじめなフランス語が、私たちをしみじみ泣かせるの。

つまり、
おしゃべりの断片だって、
パリの歴史に
ちゃんと支えられてるってこと。
(でも、だからこそ、この作品、全体的には、
 “さもありなん”になっちゃってるところもあるかも。)

都市で、人と人とが、
どんなふうにかかわっていくかっていうきもちの選択肢は、
少しずつふえてきてるのかな。
やっぱり、
変わらないところもあるかな。

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『パフューム ある人殺しの物語』★★
監督 トム・ティクヴァ

匂いを、
ことばや映像でリアルに伝えるって、可能かしら?

そういえば、ティクヴァ監督の
あの『ラン・ローラ・ラン』のスクリーンには、
“瞬間を煮しめたような”匂いがあった~。
(『パリ、ジュテ-ム』での、
 スピードと重力をダブルで感じさせる映像も印象的)
そして、この『パフューム』のスクリーンは、伝えてる。
“生きることは、匂うこと”

18世紀フランスの、
どんな匂いもかぎわける嗅覚をもって生まれた男、
ジャン=バティスト=グルヌイユ。
魚市場に、
ぽんと生みすてられた彼は、成長し、調香師になるんだけど・・・。
若い女性をつぎつぎと殺害したのは、
彼女たちの体臭を保存し、
えもいわれぬ香りの芸術(パフューム)をつくるため。

ふしぎなことに、
猟奇調香師となったグルヌイユ自身のからだには、
まったく匂いがない~。

この、生きる意味を知らない、かなしい殺人者を演じるのは、
ベン・ウィショー。
細く、曲がった、宿命の背中、
じとーっと、暗い、特別なまなざし・・・、これ、名演技?それとも、天然の存在感?
微妙だ!
(白粉箱からとびだしたようなダスティン・ホフマンが扮する
 パリの老調香師も、うさんくさくて、素敵。)

もし世界(自分)に匂いがなかったら、どんなにさびしいでしょう。
特別であることと、
ふつうであることのちがいなんて、
ほんのちょっとのことかもしれないのに、その、ほんのちょっとのすきまに、
“生きづらさ”がみえる。
これは、やっぱり、
特別な誰かじゃなくて、
私たち一人一人の、かたちにならない愛のかけらのお話なのネ。

グルヌイユを処刑台に送ったはずの
民衆が、
彼の究極の香水の魅力を知ったとたんに、
はだかになって、
狂熱的に互いを求め合う・・・
このシーンは、パトリック・ジュースキントの原作とちがう感じです。
ジャーナリストの冷徹なテキストが、
なにか別の、
諦観と情念にみちた神秘的映像に変えられています。

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2月・3月の映画思い出しレビュー①

2月・3月、
お芝居人間の私としては、
みょうに映画づいていました。


『カンバセーションズ』★★★
監督ハンス・カノーザ
脚本ガブリエル・ゼヴィン

ポンッといきなりはじまって、
ポンッとおわる・・・。
この作品全体の
フォーマットの作り方・使い方に
ひかれます。

10年ぶりに会った元彼・元彼女の、
ドキドキするような、とりとめのないような、
そんな、おしゃべり。

スクリーンが
左右2つに分かれる。
同じ時に、同じ所で起こっていることを、ちょっとだけちがうヴィジョンでみせたり・・・、
ほんの一瞬の
“事実”と “あったかもしれない事実”が、
ふっとかさなる・・・危うさが、すき。

(いろんな所で起こってることをパラレルにみせるんじゃないのネ。
 記憶をただフラッシュバックさせるだけでもない。)

2人の思いはゆらゆら揺れて、ちらばって、
それでも、あるときには交わる。
(収納上手なスクリプト)
このおしゃべりは、
よくあるラブ・コメの、
再ラブ・コメ化になっているのかも。言葉っておもしろいなーってあらためて思います。

ヘレナ・ボナム・カーターは、
ロンドンからNYに
久しぶりに帰ってきたばかりの女性のけだるさ
をよく出してる。

コーラルピンクのチューブトップのドレスの、
ちょうど胸の上でフレームが切れると、
スクリーンに映るのは、彼女の素肌の肩だけ・・・。
困ったり、いらいらしたりしても、
かえってチャーミング。


『善き人のためのソナタ』
監督フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク
Yokihito

東西分断末期の東ベルリン。
国家保安省シュタージは、
ある作家と女優のカップルの、反体制的行動の証拠を
つかもうとする。
ヴィースラー大尉は、盗聴人として、
国家のミッションをはたしながらも、自分の行動にギモンをもち・・・
女優への恋心にもめざめてゆく・・・。

歴史そのものが
この作品の大きなフォーマットになっている。
なので、
プロットも、俳優も、
とにかくさいごまでまっすぐ進めばだいじょうぶ。


盗聴人を演じるウルリッヒ・ミューエの
終始静かな、ときに情熱を秘めた表情が
印象的なのです。
女優は
表現者として、女性として、
葛藤し、結局命をおとします。

壁崩壊後、
盗聴人は、作家の書いた一冊の本に出会って、思わずつぶやく。
「私のための本だ」
すべてが、必然の方向に
ぐいぐいとひっぱられて、おだやかにドライ。

作家の手こそ、
時間を収納する大きなクローゼットになった~。

この映画を
渋谷シネマライズでみると、“涙で、スペイン坂がみえなくなる!”
とかいう説もあったみたいだけど、
渋谷と、
ベルリンの湿度の差は、やっぱり大きいかしら?
(日本人は、日本の抒情で泣いたってぜんぜんいいけど・・・。)


『ドリーム・ガールズ』

監督・脚本ビル・コンドン

Dreamgirls

私、常々、
あたまのなかにごちゃごちゃ入ってる
モータウン関係のことをちゃんと整理したいと思っているんですけど、
なかなかできなくて・・・ナンテネ。シネ・タワーを出るときは、思わずsoulなステップになったりして。

アカデミー助演女優賞のジェニファー・ハドソンの歌は、ヒステリックですてき。
でも、“低音”は
ビヨンセのほうが効いてるのネ。
ビヨンセは、きれいですが、
あのダイアナ・ロスの華奢な、肉体を超越したイメージとは
ちょっとちがってるという見方もアリ。

3人のリズムのとり方は、おもしろい。
バックの二人は、横揺れ。
まんなかのビヨンセは、縦ではなく前後に揺れるのが、いい感じ。
全身というより、
肩と首にバネをつけるダンス(&指スナップ)に、
父性的なムードがあって、
それが
カリスマ性につながるのではないかしら?
エディー・マーフィーは、
マービン・ゲイっていうより、
やっぱりエディー・マーフィーね。

こどものころ観た、ミュージカルの舞台の
♪We’re dream girls ~
dream girls will never leave you~♪ っていうフレーズ、
ずっと覚えていたのでした~。


(レビュー、つづく。)


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映画『ユメ十夜』の渋谷

私、
とにかく、むかしから、
“へんてこオムニバス”だいすき!なの。
漱石の『夢十夜』を、
十人の監督が映像化。

逆光に、ほやほやひろがる
おくれ毛、ほつれ毛、
眠る女、
虹色の金魚鉢・・・。
ヴィジュアルは、百年前の明治。
そこに、とつぜん、
原作にはない言葉が~。
「時間を逆回しにしてるんだもんっ。」
これは、漱石が言った
「百年は、もう来ていたんだな。」への、確実な返信。
(実相寺昭雄×久世光彦世界)

漱石のきもちわるさって、
サスペンスとか謎解きにならないところがいいな・・・
とか
思いながらみていると、
だんだん、
なに、これ?
ってなってくる。
これが、『夢十夜』じゃなくて、
『ユメ十夜』。

テキストのかたちを、そのままひき受けるのもアリ。(松尾スズキ世界)
そうかと思うと、
もとのかたちは、すかっりどっかへやっちゃって、
キテレツなのもアリ。
たとえば、
現代の藤岡弘おじさんが
カラフルライトの障子のトンネルをぬけると、
そこは、少女のお部屋。
まるまるしたチャウチャウ犬が
たくさん宙にうかんだり、消えたり・・・。
枕の下から
肉まんが出てきて、む~~~ん。
(山下敦弘×長尾謙一郎世界)
それで、
この肉まんは、
最後に出てくる、とんでもない豚丼(安田大サーカスの汗入り)の伏線なの。
(山口雄大×加藤敦也×漫☆画太郎世界)
ゆめもうつつも、
百年の恋も豚丼だ~ってことにしたのかな?

「もっと、ホラーっぽいのかと思った~。」なんて、
終映と同時にケイタイをひらき、
いろんな感想を伝えるひとが
小さな渋谷の映画館に何人もいました。

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私は、
本屋さんのとなりの
雑貨屋さんで、
かわいいぶたのペンカバーなど購入。

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