5月6月舞台 

ちょっと、ごぶさたしてました~。
超特急思い出しレビュー(まずは、5月・6月いろいろア・ラ・カルト)です!


★声の不思議をみる



   ●『オディロン・ルドン~夢の起源展』
   @損保ジャパン
ン東郷青児美術館(6/30 )


なんとなく時代の潮流からはズレていた・・・そんなルドンは、ほんとに不思議。
モノクロと色彩、それぞれの作品の中から、
呼びかけてくるひとすじの声・・・歌っているのか、呻いているのか・・・。
それは地球にドラマ(演劇)がはじまるまえから、
世界をずっとみつづけているひとの声。
懐かしいけものの、息。

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   ●MANZSAI解体新書その弐拾弐
   @世田谷パブリックシアター(5/8)
   「息」~言霊・音霊のリプレゼンテーション~
    ゲスト  八代亜紀   やくみつる

今年2回目の、萬斎氏の“解体新書” 。
考えてみると、これも不思議な夜だった・・・。
「息・発声」をめぐって、
“野村萬斎vs八代亜紀” の、トークバトルがひたすらつづく。
2人の接点をみつけるような、そうでもないような、
やくみつる氏のあいの手もあるのでした。


今思い出すのは、
“切音不切息(せっとんふせっそく)”“一調二機三声(いっちょうにきさんせい)”
という言葉。 いえ、なに、メモ魔のマイ手帳のこの夜のページをめくってみたら、
そんな文字が記されておりました。
“一調二機三声”とは、狂言の謡のメソッドをあらわすもの。
息の“溜め“をつくってから、ゆっくりとしたタイミングで発声する。
一方、八代演歌は、“切音不切息”。これは、本来は、
僧侶の読経の心構えを説く言葉。
音は切れても、魂はずっとつながっているようにうたいたいーー。


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★ハスキーのいろいろ



八代氏は、最近ジャズアルバムを発表。
なんでも、少女のころに、ジュリー・ロンドンに心をつかまれたのだそう。


ところで、私、こどものころ、自分の声とはぜんぜんちがう
ハスキーヴォイスになりたいと思っていた。
(一番最近では、
コリーヌ・ベイリー・レイの声にムググッ)
なんていうか、とにかく、ふところの深さ を感じさせつつ、
たしかに「世界の涯」と交信している・・・そんな声がいいのである。


  ●『レミング~世界の涯までつれてって~』
    作 寺山修司
    演出 松本雄吉
    @パルコ劇場(5/25)


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今年(寺山没後30年)はやや“寺山オブセッション”みたいな感じになって、
パルコ劇場へ。寺山世界は、私にとって、
その幻想にインパクトを受けたり、          
あるいは、ウエットさをもてあましてしまうこともあったりする、
不思議ワールドです。


この『レミング』のなかにあった、
小さな木の打楽器っぽい“ポコポコしたリズム感"は、好き。
「おや、“維新派”みたい?!」なんてすぐ思って、しばらく舞台を
たのしむに及んで、あ、そうそう、これって、松本雄吉演出
だったんだわ・・・と気づく、という、
トンチキな時間差アタマに私はなっていたらしい。
維新派っぽい、あの、光を微分するような、
ちょっと乾いた、懐かしい時間感覚が、寺山舞台に調和。
八嶋智人×片桐仁のかけあいは上手。
常盤貴子は、夢の女のイメージ。一瞬ディズニー映画『101』の、
凶暴でおかしいグレン・クロースみたいになったり、
はたまた制服少年になったり。
舞台って、匿名の観客たちの夢の中に、
ポコポコポコ・・・と“言葉”を落としてくる装置です。
(この場合のポコポコした言葉って、
ひとびとの日常を、きわどいラインで異化しながら、
つねに身体といっしょにある日本語ということ)



★叫ぶってどんなこと?



そういえば、以前、私の周囲には、
「翻訳劇って不自然で、どうも・・・」と言うひとが多くて、
「えー、そこがいいのよ、翻訳劇大好き」と私はしょっちゅう言い返して
いたのです。
日本語たちに、記憶の内側をポコポコされるのもいいんだけれど、
テキストの激流に思いきり全身をまかせるのも、素敵なのだ。

   
    
       
        ●『ヴィーナス・イン・ファー』
    作 デヴィッド・アイヴス
    日本版演出 ロス・エヴァンス
    @シアターコクーン(6/18)

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出ました、久々の、“ザ・翻訳調舞台”。
両掌をまえに出し、肩をすくめて、「ワ~オ!」などを連発する
稲垣吾郎と中越典子。
これは、19世紀の、マゾッホ作『毛皮を着たヴィーナス』を下敷きにした、
現代の濃密な二人芝居。
マゾヒズムのはじまりを考えながら、愛の本質にまで迫るのです。
ニュートラルに語る、稲垣。表情豊かな、中越。
それで、なんだか、“稲垣吾郎くん”が出演するどの舞台をみても、
はじめは同じ、 “稲垣吾郎くん” がいるようにみえる。けれど、
すぐに、どんどん登場人物の固有の物語にひきこまれてゆく。
不思議な感じ。
この舞台のラストは、“ストーリーテラー吾郎”の、大きな叫び。
叫びって、翻訳劇でもそうでなくても、
主人公が、みずから強い愛の束縛を受け、
息を溜めに溜めたあと、ついに観念の鎖を断ち切った瞬間に発する、
声なのですネ。
(あ、萬斎さん的“一調二機三声”・・・これもまた、
抽象的な叫びなのかな?ムム)


   ●『WE AND I』
   監督ミシェル・ゴンドリー 
   @イメージフォーラム



ゴンドリーの『恋愛睡眠のすすめ』が好きなので、それ以来
新作のたびにチェックしている。
これは、アメリカ・ブルックリンの高校生たちの、バス下校中の
会話の記録である。
全編、1台のバスの中だけで起こるドラマになってる(かのような)
構成で、きゅうくつ感いっぱい。
男子グループを中心に、最悪マナーでイジメを拡散する彼ら。
その人間関係の中には、     
マイノリティー、幼なじみ、ゲイ、孤独、アート、未来の夢・・・そんな
タームが織り込まれていて・・・。
叫びにも、語りにもならない 〈ぼくら〉の声をきかせたかったのかな。
以前のようなオフビートの要素は抑えられていて、ブー。
『WE AND I』の、〈WE〉 も 〈I〉 も両方、
〈私〉 の中にいる、そう思うと、
きゅうくつさのあとに、やさしさがかすかに残るような、
ゴンドリー映画と思いました。

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フセイン・チャラヤン


「フセイン・チャラヤン- ファッションにはじまり、そしてファッションへ戻る旅」展
@東京都現代美術館(6/19)

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以前、やっぱり、都現美の展示で見て以来、
気になっていたアーティスト、フセイン・チャラヤン。

蒸し暑い土曜日の午後、
友人と、また都現美に行ってきました。のんびり出発したので、
さいごのほうはバタバタでした。
会場には、瑛太の分身のような男性と、すてきな女性が集結・・・。

今回の展示は、キプロス生まれのチャラヤンが、ロンドンを拠点に
活動してきた15年間の軌跡を、まとめたものです。

ファッションとアートをつなぐ作品たち。

いつだって、私たちは、
“見る×見られるのカンケイ”にどうしても巻きこまれてしまいがち。
チャラヤンは、そのカンケイをつくっているシステムそのものを、
ファッションのなかだけじゃなく、
世界全体のなかでとらえなおそうとしてる。この視点が、
ドラマチックで、おもしろいと思う。

たとえば、
ledの光のドレス、折りたたまれて送られ、組み立て式で着用する
エアメールドレス、土の中に長期間埋めてからとりだした埋葬ドレス・・・。
このドレスは、時空を超えて、
離れているひとへ送られる。自分の分身。

人体を飛行機に変えてしまう飛行機ドレス。
空間を移動するカプセル状の乗り物を、まるで衣類みたいに装着して、
旅をする女性の映像。記憶のなかの懐かしい近未来が、よみがえります。

短編映像〈不在の存在〉では、女優ティルダ・ウインストンが主人公を演じている。
衣類や髪型をとおして、
DNAの謎と向き合う。興味深い。

そう、そう、チャラヤン作品は、
ドレスでも映像でもインスタレーションでも、みんな、
〈考える〉という〈ドレス・コード〉をもってるといえるかな。
それにしても、〈着る〉という行為は、不思議なこと。
ふだんなにげなく、誰もが行っていることだけど。

そして、衣類の不思議といえば、思い出す。
ソニア・リキエル(ファッション・デザイナー)のこの言葉。
「衣をまとっても裸であること」

この言葉、私がうた(短歌)をつくるときの、
テーマにもなっているかな~。
定型に言葉を合わせるって、言葉の〈ドレス・コード〉を
与えられてること?
定型だけじゃなく、題詠、本歌取り・・・いろんな〈コード〉があるの。
ただ、こういう〈コード〉をたのしむのと、
「こう言ったら、こういう意味になる」・・・みたいな退屈な表現の
お手本に従うのとはちがうこと。
いつだって、精一杯うたいたい。
それで、
「衣をまとっても裸であること」なのです(?)

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さて、チャラヤンの
インスタレーション作品「ブラインド・スケープ」(2005)には、
「盲目になるとは、どんな感じなのだろう?」というコトバガキが
ついてる。
等身大の、ぬれた髪の女性の人形が、
何体もちらばって、大地に水をやっている。
寂しい、感覚の原風景。
小さな、小さな量子ビットが、
くすぐったい音をたてて、空中に漂ってるみたい。

チャラヤンは、それまで、だいたい、
移動や不在の〈モード〉にあったけど、ここで、
いったんどこかに〈回帰〉してる。といっても、この〈回帰〉は、
みること/かんがえること  の終わりじゃなくて、
もちろん、はじまりなのではないかしら?

思ったとおり。チャラヤン世界は、ここからいよいよもっと、
ドラマチックになって
いくのだ。
ファッションショーのドレスは、モデルの帽子に吸収されて、その身体のうえで
だんだん消滅する。(ヌード)
映像は、愛の歴史をものがたる。(なんか
ピナ・バウシュをもうすこしポップにしたみたいになっている・・・?)
こうなってくると、これは、
ファッション、アートっていうよりは、やっぱりドラマ(演劇)にみえてくる。
ただし、まー、ドラマとしてだけみると、それほど”発展性”はない感じに
なっちゃうところもあるけどね。

あっ、チャラヤン話は、
どこまでもひろがりそうなので、
このへんで。

Socks


展示で、 チャラヤンドレスを着てるマネキンは
みんな、靴ははいてない。けど、
こういう靴下をはいてるの。
ドレスがお部屋着みたい?

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『道元の冒険』の涙

『道元の冒険』Dougen_2
作  井上ひさし
演出 蜷川幸雄
音楽 伊藤ヨタロウ
@シアターコクーン

にぎやかな、音楽劇。
曹洞宗を開いた道元の半生を、
禅僧たちの
"劇中劇"で語ってゆきます。

12人の俳優が、
時空をごちゃまぜにして、50人以上の役を
次から次へとこなす・・・ドタバタ感!
(去年の、
チェーホフの生涯を描いた井上作品『ロマンス』と同じやり方。
だけど、こっちのほうがもっとドタバタ)
音楽も、衣裳早替えも、装置転換も
リズミカル!
やっぱり私
悲劇より喜劇志向。
(去年の蜷川喜劇『ヴェニスの商人』の最後の
あたたかい"静けさ"、印象的でした。)

もちろん、
"よい子の道元半生記"
じゃないので、
不協和音が大事。

この舞台の終幕は・・・
天井から
何台ものテレビが降りてきて
各局の番組をオンタイムで映し出す。(22時ちょい過ぎ)
禅僧たちは、
現代の精神病患者として
檻に閉じ込められていく。
彼らは、袈裟を脱ぎ捨てたら、
ふつうのスカートやズボンに
坊主頭の、ただのへんな人々。
虚ろな表情で客席に手を伸ばす。

これって、典型的で、ある意味
親しみやすいヴィジョン。
小さなものが、大きなものを
ひっくり返す
という喜劇の醍醐味が、拡大されています。ただ、これだと、
なにか
舞台全体が
「現代人はみんな病んでいる!」
と、大声で客席に言って、
おしまいーーみたいな感じもありますが。

・・・そんな感じで
"精神障害"は、すべての現代人にとって避けられないテーマね。 
とあらためて思っていたら、
このあいだ、
『アール・ブリュット/交差する魂展』@松下電工ギャラリー
で、
エネルギーをもらいました。
いろんな精神的症状をもつ作家の
絵画・オブジェ(創る心)には、以前から私、
共感、

"ブリュット"な作品って、
当然、
"魅力たっぷりの紋切り型"とか、
"劇中劇"とか、
そういう表現のマナー的なものの外にある。
常識
のはるか向こうから
電波をたくさん送信してくる。moon1
そんな
"ブリュット方面"と今をつなぐ
最後のアンテナがついてるもの、
それが
演劇じゃないかなと思うわけです、私。

さて、
道元・・・阿部寛
が、修行に挫折しそうな
こども時代の道元・・・栗山千秋
の肩を抱き、二人で歌う。チビ道元の声が、
まっすぐでよいのです。
木場勝己、大活躍!
北村有起哉、横山めぐみ、高橋洋、
神保共子、大石継太、池谷のぶえ、片岡サチ・・・それぞれの
演技が元気&自然!

二幕では、突如、
阿部道元の
両目が溢れる泉に。涙が、レンズみたいに光って、ぐるぐる眼圧
(一幕では、唾のスプリンクラーが~)
道元の純粋さがあらわれているというのかな。

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ささっと雑多な思い出しレビュー

『パリ 恋人たちの二日間』(映画)

これは、パリっ子女優ジュリー・デルピー脚本・監督の小粋映画。

フランス人の彼女が
アメリカ人の彼をつれて、久しぶりにパリの実家に帰る。
この二人に危機がくる。
二人をとりまく人々の会話が絶妙。
みんな、いかにもパリっ子らしく、よそ者に意地悪で、すっとんきょうで。

二人は二人で、とことんけんかする。話す。うん、いいなあ。
二人とも、弱さも、プライドもそれなりに抱えてる。(30代半ば)

私、むかしから、
書を捨てよ、街に出よ
っていうのを、なにか物足りなく思ってた。08oniwa2
書を捨てよ、
でも、恋人たちはたくさん会話せよ、
それから、街に出よ
なんじゃないかと思って。

エンデイングで仲直りした二人は、
街のカフェの前の通りで、
くるくる踊る、いつまでも・・・好き。    

   ・・・・・・・・・・・・・・・・・

ウイーン・フォルクスオーパー
『マルタ』(オペレッタ)
作 フリードリヒ・フォン・フロトー
指揮アンドレアス・シューラー
@ 東京文化会館

ところで、
"恋人"という言葉から
"い"をとると
"小人"になるのだ・・・。
"恋人"って、
恋の力にコントロールされてる人っていう感じもする。
"小人"は、もっと自由。でも、もっと、はかない。

18世紀イギリスの貴族のレディ・ハリエットと侍女ナンシー。
二人は "恋人候補"ならぬ
"メイド候補"となって街に出て、
「メイド市」なるものに潜入する。
(宮廷の生活は退屈すぎて、死にそうだから)

ふーん、"メイド市"かぁ。
"メイド市"って、ここでは一種の"思いやり市"みたい。
"思いやり"が"恋"に変わりはじめるまでは。

やがて、
熱心に言いよってくる青年たちの恋心を知る彼女たち。
自分たちの心も揺れて、
どんどん小さく、はかなくなってゆくかのよう。
(♪♪♪メルバ・ラモスのつよく叙情的なソプラノ♪♪♪)
階級の枠をこえて、2組のカップル成立――。
つまり、人は恋をすると、
先ず"小人"になる。08oniwa
それから、
ある瞬間、突然"恋人"になるーー。catface

   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

『アイム・ノット・ゼア』(映画)

女子高時代の、憧れの
ボーイッシュなY子先輩。
折り曲げた細い指を
鼻のあたりにもってゆき、
憂いたっぷりに、ちょっとうつむくのが、決めポーズ。

この映画で、
歌手ボブ・ディランに扮する
女優ケイト・ブランシェットが
まさに、それ!
そばかすっぽい透明肌、
細身のパンツ、ほ~っ。

ボブ・ディランを
6人の俳優(女優)が演じました。
みんながボブの真似をするのではなく、
たとえば、ビリー・ザ・キッドとか
黒人の少年吟遊詩人とか、
いろんな人物にボブのイメージがかさねられている。
監督トッド・ヘインズは、
一人の伝説的ミュージシャンを、"多面体"として08oniwa6
とらえている、ってことですネ、ハイ。

♪♪♪6人のボブは、
大人だけに見える妖精だゼ♪♪♪
・ ・・的な"歌"、"夢"に、酔いました。。。 
(ベン・ウィショーheartの苦味ばしった語りも、ぐー)

   ・・・・・・・・・・・・・・・・

『靖国』(映画)

歴史の中で、癒されない魂を代弁するために、
"言葉"はどれだけついやされているのだろう。
今の人間の、さまざまな哀しみの原型をみる思いがしました。

(監督李纓)

   ・・・・・・・・・・・・・・・・
08oniwa3 『ジェーン・オースチンの読書会』(映画)
 

カレン・ジョイ・ファウラーのたのしい原作と、
本家オースチンの作品(先ずは『エマ』から)を、
今、同時に再読中。

(監督・脚色ロビン・スウイコード )

   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

『 薬師寺宝物展』(展示)@国立博物館

日照りの中、日傘を差して30分並んでから、建物に入って、
おおきな日光・月光菩薩のうしろに回って、うんと見上げた。
(きれいな背骨・あご・ほほラインは、わたしたちのめまいでできてるのheart?)

                            0881         

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アート、デザイン、ダンス、ことば

①「SPACE FOR THE FUTURE 
   アートとデザインの遺伝子を組み替える」
 @東京都現代美術館

②ニブロール公演
 「ROMEO OR JULIET」
 @世田谷パブリックシアター


「・・・遺伝子を組み替える」って、
あらたな生命体出現?
その生命体は、やがて、
アートからもデザインからも
自立した、別のものになる可能性ももってるんだろうな。
(あっ、突然変異がないと、ダメ?)

この展示は、全体的に近未来のドールハウス!
LEDドレス、1分以内に消えるドレス。(フセイン・チャラヤン)
大きな銀の空気の家、(石上純也)
たくさんの小さな銀の豆状のもの(時のカケラみたいなもの)に
花びらがくみこまれてるの、
呼吸する壁(ダイキン)・・・etc。
ものごとの微妙な質感に気づかせる。
空気の違いを感じさせる・・・こーゆうのっていいわね。

このまえ、ひさしぶりに
太宰の、
『皮膚と心』をパラパラしてた。
ん?主人公の女性の夫は、
銀座の有名化粧品店の
つる草模様の意匠を考案したってことになってたー。
(えっ、これってあの有名な?)
昭和十四年、ここでは、デザイナーは「図案工」なんてよばれてて、
とってもしょぼくれてるの。
(太宰的な自虐もある・・・)
そうそう、ほんとはいつだって、ものづくりは
地味に、地道に・・・がよい?

ところで、アートでもなんでも、
"考えさせる作品"(よくきくフレーズ)って、どういうことなのかな?
さいしょは分かりづらい、でも
なにか気になるメッセージを発してる・・・ことかな。
私にとっては、いつも、
"考える" と "なんとなく、ちょっと感じる"
は、分けられない一つのこと。(だから、ただ”考えさせる作品”っていう
ものは本当にはありえない)


さて、ニブロールは、
ダンスと
お洋服デザインや、映像、言葉などを合わせて、
身体表現するグループとして
知られてるわけだけど、
ここでも、
"考える"と"なんとなく、ちょっと感じる"は
一つのことって、また思った。
(私、いつもは"ダンスよりもお芝居派"。)

ニブロールの舞台には、
せりふとはいえないくらいの短いことばがある。
ただ、あくまでもメインは、からだ。ことば自体は、単純なもの。
とかくこの世は、説明過多。
なのに、肝心なことはぬけている・・・だから、私は、
逆にもっと"キテレツ"なことを発してほしい。"詩"じゃなくていいから。
でも、そしたら、舞台の上のあのヒステリックな200791_2
ダンス(ぶつかるからだ)が
かすんじゃうものネ。
さいごは、たくさんの昆虫の映像。
ロミオっていうか、ジュリエットっていうか
あたしたちは虫!とでもいうように、
みんなの記憶がめぐりめぐって"つながるダンス"。
(活動十周年、ほんと、今までには、
いろんないろんな
たくさんの
思いがあったことでしょうねー。
(・o・))

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『鳥獣戯画がやってきた!』

Choujyu 1、鳥獣戯画は、
  少しあると、かわいい。
  たくさんあると、
  あんまりかわいくない。
  これ、たくさんみてると、
  今のどうぶつと人とのかんけいのやさしい、
  微妙なところが
  かえって消えてっちゃう感覚になった。

  (って私が言ったら、鳥獣戯画は
   かおだけにしてよネ ってお芝居虫が
   言った・・・どういう意味ー?)

2.鳥獣戯画は、
    鳥羽僧正作jじゃないらしい。
    甲・乙・丙・丁の全四巻が
    いろんなひとに、いろんなふうに写されて、
    伝えられてるの。説話の謎。

3.墨絵の麒麟は、かっこいい。

 (この世は、兎がつよいか、
  蛙がつよいかだけじゃないもん)

@サントリー美術館(12/6)

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『フェルメール展』

「牛乳を注ぐ女」。

よく、牛乳は、音楽だ!と言われるわけですが、Vermeer_2
その牛乳は、
まっすぐの線ではないの。
フェルメールの牛乳は、
くるくるながれる。
ねじれが入ってる。
注がれてる感じ、ある。

こういう、くるくるの
牛乳ライン、
衛星みたいな
フィドル
なんかみると、

かわいてるこの季節、しっとりすることが、
眠ることのなかに、のみこまれてしまっては
いけないのだなー
と、思うの。

@国立新美術館(12/6)

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『福原信三と美術と資生堂展』

Shiseido7

私、
世田谷パブリックシアターと
世田谷美術館に、
ちょうどはさまれた区域に ゴロリンッと生息してます。
"世田パブ行き"の話はよくしているので、
たまには"世田美行き"のことも。

夕闇の砧公園内を、競歩みたいにすりぬけて。
気づくと、ほんとうに、何人かの人がバタバタ先を急いでる。
この日は、風邪っぽくて家を出るのがついおそい時間に。
館内にかけこむと、
閉館まで小一時間というところ。

第Ⅰ部「福原信三と美術」
福原信三って、資生堂の創業者(1897年)福原有三の三男で、
社長を後継。(1915年)
こんな言葉をのこしてる。
「ものごとは、すべてリッチでなければならない」
ふむ、 "センス系"ってことネ・・・。
銀座生まれ、生粋のモダンボーイ。
欧米遊学中の、経験や交遊がその後の企業運営にどんどんつながってく人生、
おもしろい。(戯曲になりそうヨ)

Shiseido1_2 信三は、資生堂ギャラリーを創設。
写真家としても、多くの作品をのこしてる。
どことなく、ヴェンダースの光に日本の土のやさしい匂いを
加えたみたいな風景・・・。

第Ⅱ部「資生堂スタイルとデザイン」は、まえに、たしか
「HOUSE OF SHISEIDO」でみた
展示とかさなる感じ。
同じようなものをみて、何がたのしいか・・・といえば、何だって私が昔から
とにかく好きなものいっぱい!
なのです。Shiseido2

Shiseido3

Shiseido5

アール・デコ・デザインの
香水瓶コレクション
『花椿』表紙、
広告ポスター
大正の
ノベルティー小物たち・・・かわいい。
山名文夫のイラスト、
ひかれます。

Shiseido6_3

コスメそのものというよりは、その”デザインをめぐる時間”に
触れるの、たのしい。

女性たちの意識(無意識)は、いつからか美と広告のバランスを
上手にとって、進んできたんだなー。
なんか、ちょっと、神妙な気分。

さいごに、60年代からの
"資生堂コスメTVCM史"を、ビデオでしっかり鑑賞。
「ナツコの夏」のテーマ、
『燃えろ!いい女』(世良公則の)で、私の風邪は突然消滅。
混んでて大変な絵葉書買いは、いつもは苦手。だったはずなのに~。

砧公園を元気に
歩いて帰りました。(^。^)

Shiseido

(この写真は、ナツコじゃなくて山口小夜子さん~)

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『ねむの木のこどもたちとまり子美術展』

Nemu

1968年に
宮城まり子さんによって
つくられた
肢体不自由児のための
ねむの木学園。
40周年記念の展覧会@森アーツセンターギャラリー。

サインペン、油絵具などを使って、
描かれた
子どもたちの世界は、
ほんとうに色彩ゆたか!

男の子たちの絵は、
舟、月、天使、街・・・
具体的なもの。

女の子たちの絵は、
キャンバス一面のお花畑のなかのおかあさんと女の子とか、
大きなひまわりとか。
あと
音とか、空気とか抽象的なものも。
(幾何学的な小さな図像をくみあわせている。)

Nemu2

症状も性格も
一人一人ちがう子どもたち。
各作品のよこには、
それぞれの子どもと
まり子さんとの思い出が綴られて
いました。

絵のどこかに必ず真っ赤な炎を描く
女の子。
フィジーの海へのダイビング旅行を
きっかけに、キャンバスから炎は消え
ました。お花がいっぱいになりました。

失明してから、絵を描きはじめた男の子。
たとえば、
「なに色となに色の絵の具をちょうだい」
ってまり子さんに言って、
そんなんふうにして、こころに映った
世界を描き上げています。

おもいっきり
世界とつながってる作品ばかり。
(ヘンリー・ダーガーの
「ヴィヴィアン・ガールズ」のような、「アール・ブリュット」のなかの、
孤独で、攻撃的なファンタジーとはちがって)

そこに
やさしさ・つよさを
感じました。

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風船

波打ち際で
白いぶかぶかのツナギみたいなのを着て、
風船をもって
ねっころがってるひと。
波に
身をさらわれて、
また
打ち上げられて、
髪が
顔いっぱいにはりついて、
誰だかわかんない。

Janaina


もうひとり
透明な風船を首のまわりに
いくつもポコポコつけてる
ひと。
アンピールのドレスを
まんまるにふくらませて
くるくる回ってる。

『ジャナイナ・チェッペ展』
@東京ワンダーサイト渋谷
(写真、映像など)

ジャナイナ・チェッペは、
ドイツ生まれの
ブラジル育ち。
体内/胎内を思わせる
ところに、
私たちの無意識を
つれていく。
解放というより
あやういような
それでいて
確かな感覚。

私たちは、よく、
ながーいおしゃべりの
さいごのさいごの
話題だけを
つかまえて、
それを
イミシンな約束みたいにして、
隣人にあげたりするでしょ。

でも、
ねっころがってる
白いツナギのひとが
このあと
どう出るかをじっとみてて、
それに合わせようとしたりなんかしないで、
先ず
あなたが、
わたしたちが、
今自分から
うたってみせなくちゃ・・・

世界には
日本語の
5・7・5・7・7
っていうもの、
定型
っていうものがあるから。

なんていう
声がきこえたのは、
短歌病?

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